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「適当」の意味がわからない適当な大人が世の中には居る【日常のエッセイ】

私はシステムエンジニアの仕事をしています。
だから「ユーザー」のことを「ユーザ」と言ったりします。エンジニアなので。
先日のことです。

わたし「ここは条件に合った適当な数字が出てきます」
ユーザ「適当じゃだめじゃん」
わたし「適当だとだめなんですか?」
ユーザ「適当だとだめじゃなくないの?」
わたし「適当だとだめじゃなくないとないのですか?」
ユーザ「適当だとだめなのにだめじゃないの?」
わたし「適当だとだめじゃないのにだめじゃなくないのですか?」
若い子「とりあえずお昼にしません?」

多少誇張していますが、「適当」という言葉の意味を
わたしは「ふさわしいこと」で使って
ユーザは「いい加減なこと」で使ったせいで発生したやりとりです。

「ああ、よくある話じゃない」と思ったそこの貴方。
本当によくあるんですよこれ。助けてください。
よくあるゆえに、私も出来るだけ適当という言葉を使わないようにしています。「適した」に言い換えたりとか、「ばちこり条件に合った」とか。
でも上の例だと「いい加減な」だと意味通じないですよね?
「確信犯」とか「敷居が高い」とかの「実は本来の意味じゃないんだけど別にどっちでも意味通じる言葉」に「適当」は居ると思っているんですが、案外そうじゃないんですよね。
ともかく「条件に合ったいい加減な数字」ってなんですか。五百兆億万円とか子供の頃にしか存在しなかった数字のことでしょうか。
そんなことビジネスシーンで言うはずじゃないじゃないですか。
そういえば子供の頃に居た、「うちのお兄ちゃんゲームソフトを五百兆億万本持っている」といい加減数字を全面的に出して豪語していた子供、最近だとどうなってるのでしょうか。
「うちのお兄ちゃんティックトックで六兆阿僧祇再生いったんだぜ」とかになるんでしょうか。

閑話休題。
最近の若者は本を読まないし、AIの発展で読解力が壊滅的だ、なんてニュースを目にしたことがあります。
しかしそれは若者に限った言葉では無いなと思う次第です。
「適当」という言葉を聞いて怒り出す、無能システム担当(笑)が良い例ですね。文脈関係なく「適当」という言葉を使ったら怒り出します。
こんな感じです。

わたし「いやあ貴方は顔も格好いいしスタイルも良い、更に性格も素敵ですよね」
ユーザ「そんな、それほどでも。悪い気はしないな」
わたし「適当」
ユーザ「あああああああああ!!!!!!契約解除だあああ!!!!」

こんな人間がごろごろ、ではないにしろほどほど居ます。
そういえば、ろくに説明書も読まず携帯ショップで怒鳴っている人に若者は居ない気がします。
私はゲーマーなので知っていますが、「俺って説明書読まないタイプの人間だから」とよくわからない自慢風な怠慢癖をアピールしている人は、格ゲーが弱いです。
格ゲーが強い人は基本を抑える大切さを知っているので、説明書を読む大切さを知っています。
しかもコロナのせいで社会のチャット文化が増えたせいで、こういう人間が目立つようになりましたね。
今まで電話やメールをしていたお年を召した方も、チャットをつかうことを余儀なくされました。
気軽で端的な文章を打つのも、見るのも機会が増えたということでこういう「文字読めない問題」が顕著になったんじゃないかなあと思います。
そういえば前職で「目上の方にグッドの絵文字を押すのは失礼だからやめよう」というこの世の終わりみたいなルールが出来たことを思いました。
思考のアップデート、必要ですね。

しかしながら、と思います。
しかしながら、最近はそれでも良いんだよなあと思ってしまいます。文字を読まなくても楽しいことはいっぱいあるし、説明書を読まなくても丁寧に説明している動画などがごろごろ転がっています。
由々しき問題だなあと思います。少なくともエッセイストを目指す私にとっては。
今はまだ、根強い文字のフアンがいっぱいいます。
電子書籍が流行しても紙に一定の需要があるように、動画文化が発展しても文字のフアンもまだまだ減らないと私は思っています。
しかし、もう百年ほど経ったら。
文字で得る娯楽なんてものは無くなっているのかもしれませんね。
それは悲しいけど、そこにすがっているようじゃまだまだです。思考のアップデート、していかなければいけませんね。

六兆阿僧祇年経っても、エッセイがこの世にあるといいな。
そんなことを思いながら、ユーチューブショートを見ながら布団に入りました。。
寝る前に文字読むのって、疲れるんですよね。


……アップデート?

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サポートという機能があるのに初めて気づきました。みなさんもそうだと思うのでぜひ私のエッセイで試してよいですよ。お願いします。