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スパイダーマン ファー・フロム・ホーム

MCU合流後の新生スパイダーマン・シリーズの第2弾であり、「エンド・ゲーム」で終焉を迎えた「アベンジャーズ」の第1シーズンのエピローグ的作品ともなる「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」の感想です。

はい、えー、あれだけ感動的で美しい終わり方をした「エンド・ゲーム」、その後を描く必要なんてあるのかと思っていたんですが。ああ、なるほど、そういうことかと。確かに「エンド・ゲーム」って全宇宙を巻き込んだ一大決戦だった割にはアベンジャーズの身内の話しかしてないんですよね。サノスの指パッチンによって全宇宙の生命体の半分が一瞬にして消されてるわけなんで、ワケも分からず周りの人が突然いなくなっちゃってる市井の人たちが沢山いる筈なんです。そこのところを"親愛なる隣人"であるスパイダーマンの世界感で描くっていうのはなるほど至極真っ当だなと思いました。

まず、「エンド・ゲーム」後の世界がどうなってるのかを映画冒頭で説明するところがあって、そこが「あー、スパイダーマンだな。」というか、「ジョン・ワッツ(前作から続投している監督です。)だな〜。」っていうところだったんですけど。「エンド・ゲーム」であれだけシリアスに紡がれた物語が、ホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラブ・ユー」をBGMに、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ブラック・ウィドウ、ビジョンの顔写真が次々に映し出されていく、かなりチープな映像になっていて。じつはこれ、(スパイダーマンである)ピーター・パーカーが通うミッドタウン高校で校内放送として流している追悼映像だったんですね(この、高校の放送部から映画が始まるっていうの、じつは前作の「ホーム・カミング」もそうだったんですよね。)。だからこの時点で、あの美しくて刹那的な「エンド・ゲーム」の世界観は一切引きずりませんていう、あくまで「ホーム・カミング」から直結するスパイダーマンの世界観で行きますって宣言をされてるつてことなんですけど、それを高校の校内放送っていうミニマムな視点から描いてるのが面白くて。日常っていうものが持つ力強さというか、確かに「エンド・ゲーム」から地続きの世界ではあるんだけど、それを克服してからの今があるっていうメッセージになっていると思うんですよね。で、正しくこの世界の見方こそが「スパイダーマン」なんだと思うんです(しかも、それが笑える様に作られているのも。サノスに消された人たちが戻って来たのは5年後の世界ということで、高校の後輩が年上になってたりとか。そういうのギャグでスルーしちゃうの、これはスパイダーマンじゃないと出来ないんじゃないかなと思いました)。

その中で(あ、「エンド・ゲーム」のネタバレします。)、アイアンマン無き後の世界を、ピーター・パーカー(=スパイダーマン)がどう受け入れて行くのかっていうのが今回の「ファー・フロム・ホーム」なんだと思うんですけど。あの、前々からこの「アベンジャーズ」っていうのは日本のグループ・アイドル(AKBとかハロプロとかです。)に存在の構造が似てるなと思っていてですね。今回の話って、アベンジャーズっていうアイドルグループに新規メンバーとして入って来た(「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」とか「ブラック・パンサー」とか「アントマン」とかの中でも)最年少メンバーの「スパイダーマン」が、一期生主要メンバーの度重なる卒業により、突然センターに任命されたみたいな話なんですよね。で、その苦悩と目覚めを描いて行く話なので、そりゃ、(グループ・アイドル的に見れば)そうとう萌える話なんですね。で、それをピーター・パーカーの高校生としての日常(恋とか友情とか将来への不安みたいなもの)と一緒に、夏休みっていう最高のシチュエーションで描いてるわけなんです。

で、更にここにジェイク・ギレンホール演じる"ミステリオ"(「エンド・ゲーム」時の戦いで生じた異空間の裂け目から逃げた敵を追って地球にやって来た異世界のヒーロー)っていう新キャラが登場するんですけど、これはジョン・ワッツ監督の映画に必ず出て来る"世間の大人"の象徴なんですね(こういうところをきっちり描くからジョン・ワッツ映画は単なる青春物に収まらない不穏さを抱えることになるんですけどね。)。ただ、今回、この対峙するべき"世間の大人"の描き方が凄いんですよ。えーとです」、前作はヒーロー映画と思って観たら思いのほか青春映画で、そこが面白かったんですけど、「インフィニティ・ウォー」、「エンド・ゲーム」を経た今回の話では、当たり前の様にスパイダーマンていうのは"ピーター・パーカーの成長物語である"っていうのがあってですね(どちらかというとそっちがメインというか)。で、そこに「アベンジャーズ」としての(世界を守るスーパーヒーロー的)世界が挿入されてるって感じなんです。つまり、普通の高校生としてのピーター・パーカーを前作よりも多く描いていると思うんですよ(そういう7:3くらいで普通の高校生っていうバランスを描くのがジョン・ワッツ監督は上手くて。そうするとますます素人からいきなりトップアイドルになってしまうグループ・アイドルの子たちの生活とダブってくるんですけど。)、やっぱり、夏休みは友達と遊びたいってこととか、女の子に告白するってことが優先順位の先にまずあって、その後にヒーローとして、アイアンマンの跡を継がなきゃっていうのが入って来るくらいのバランスなんです。で、そういう世間からヒーロー(大人)として求められることと、普通の高校生で10代の今しか出来ないことの狭間にいるっていうか、青春の季節というか、みんなあったと思うんですけど、正にそういう時期を描いているんです。で、そこを大人として導いてくれていたのがアイアンマンことトニー・スターク社長だったんですよね。

でも(はい、ここでもう一回「エンド・ゲーム」のネタバレします。)、社長はもういないわけじゃないですか。で、その代わりとしてのミステリオだと思ったんですけど、そこのミステリオとピーターの師弟関係みたいなのをもの凄く丁寧にじっくりやるので(前にも書いた様に)青春映画としての見応えはあるんです(あの、だから、ちょっと「君の名前で僕を呼んで」とか、ああいうひと夏のあの人と僕の思い出みたいな感じがあるんですよね。今回。)けど、なんかちょっとヒーロー映画感というか、SF感というか、敵もちょっと存在感薄いしななんて思ってたら、その世界自体がある時点で全部反転することになってですね。アレ、なんだこれは?って思ってたらそっからは怒涛のヒーロー展開になるので、ああ、やっぱりこれが「スパイダーマン」だなってなりました(とにかく、これだけの要素が入って、きっちり「アベンジャーズ」第一フェーズのエピローグとしても機能してて、これからの展開にも期待させられるってことでめちゃくちゃ良かったですね。メインはピーター・パーカーの恋の行方なんですけどね。)。

http://www.spiderman-movie.jp/

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