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自分のパッションを貫くと周りの反応も変わる

今朝起きたら来てたボイスメッセージ。

79歳になる女性牧師(以下パスターF子)から、急成長中の教会で行うクリスマス劇の相談。

本拠点のハワイではこの劇のために教会に約一万二千人が集まったとか。それと同じことを客数は全く違うとはいえ日本でもやりたいとのこと。

だけど演劇のわかる人が居ないから、出演を含めたヘルプが欲しいのだと。

何が面白いって、10年前彼女は演劇をしている私に「そんなものいつまで続けるのよ。」なんて、中々に軽んじた言い方をしてたこと。

因みにこのパスターF子とは超仲良しで沢山お世話になってきてるから笑い話なんだけど、「あなたの助けが必要!」ってすんごい手のひら返しじゃない?😎

そして教会に集っていた方々の半数くらいかな?も、私が演劇をしてることにあんまり良いイメージを持ってないのが当時はビシビシと伝わってきてた。

演劇をしてる・人前に出てる=目立ちがり屋で自分が一番な人

みたいな世間イメージがあるということを、ここ10年くらいで感じてきた。

良い悪いは別として実際そういう人も居るだろうし、でも色々だよね。

私なんかは常に生き辛さを感じてきた人間で、普段うまく自分を表現出来ないからこそ演劇を含めた芸術に解放を求めたタイプ。

そして演劇やメディアを通してなら、自分の生きる動機目的も同時に果たせると思ってやってきた。それは福音を伝えていくこと。

でも信仰=自我を抑えて神様の御心を一番にすることだから、「人前に立ちたい若い女の子(当時)」という偏見からあまり理解してもらえなかった。「目立ってチヤホヤされたいんでしょ」みたいなジトーっとした視線受けまくってきたよ。

でもそれが結婚してて30過ぎてて、ブランクあれど続けてる。母教会ともずっと繋がってる。となると、周りの反応も大分変わる。急に頼られるようになってこっちがビックリだよ!という感じ。

10年って結構な年月だけど、それでいて感覚的には短くて、自分自身はあんまり変わってないような気がする。でもやっぱり時間は色んなことを変える。他人からの評価なんて著しいことこの上ナシ。

例えば私が全日制高校を辞める時、クリスチャンになった時、専門卒業後新卒就職に進まなかった時、演劇を始める時、結婚する時、渡欧する時、日本にも拠点を持ちたいと言い始めた時。

周りは首を傾げたし色々言った。でもそのどれも自分にとって間違いではなかった。近頃のライフスタイルに満足してるところが多いのはこれまでの愚かとも思われた選択による結果で、もちろんお陰様でもある。

力づくで抑えつけられた時期はあったけど、ただ意見嘲笑されてるくらいの時に自分のパッション継続を辞退するなんてダメダメ!きっと後悔する。

みんな自分の言ったことなんかあっさり忘れるから。無かったことにするから。こっちは一生忘れないようなことも平気で。笑

全く責任を取ってくれない、その道の熟練者でもない人の言うことは話半分で聞くが吉。☜たまには大切な意見もあるから半分というのがミソ〜

それにしても、話を戻すと、凄く嬉しかった!私の一番していたいことは自分の賜物を用いて福音を伝えることだから。そのために出来ることは全力でしたい。

問題は予算。報酬が支払われるミニストリーもあるけど、今回の教会劇は違う。無償。それでもやりたい。

次は10月半ばから11月下旬にかけて日本に帰る予定だから、「当日劇でなく映像でなら手伝えると思う」とお伝えした。

どうなるかわからないけど、大人になると出来ることが増えていって楽しいね。そしてこれからも自分の信じる道を突き進もうと思いましたとさ。ちゃんちゃん⭐︎

頂いたサポートは一時帰国した際大切に使用させて頂きます。励みになります☺︎