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今こそ心して水俣での出来事から学ぶ時だと思う

放水の件。水は処理されており本当に安全なのかもしれない。でも水俣での出来事・歴史は、十分念頭に置いておく必要があると思う。

今後何事もなければ良いけれど、現地点で「絶対に大丈夫」と認識するには早い。専門家の見解及び報道が長い目で見ても完全である、という保証はどこにも無いのだから。

《水俣病はいわば量的問題で起こったものであり、自然界における摂取と排出のバランスの崩壊で発生したものであった。》

"有機水銀は自然界にごく普通に存在し、魚介類で有機水銀を含まないものはない。人間は日常的に魚類から有機水銀を摂取している。日常の食事などからの摂取が一定の範囲内であれば、適切に排出され問題はないが、大量に摂取した場合は排出しきれず蓄積され、激しい中毒症状を引き起こす場合がある。妊婦などには、胎盤を通じて胎児に影響が出ないよう、マグロやカジキといった水銀含有量の多い魚の摂取について注意喚起が行われている。

後年わかるように、水俣病は昭和20年代後半から30年代前半に、触媒の変更によって、一時に爆発的大量の有機水銀が海中に放出され、それを摂取した魚類が適切に排出できずに高い濃度で蓄積し、さらにそれを食べた人間に激烈な中毒症状が発生したものである。水俣病はいわば量的問題で起こったものであり、自然界における摂取と排出のバランスの崩壊で発生したものであった。

1945年 - 日本窒素肥料がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。

1949年頃 - 水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなる。

1950年 - 日本窒素肥料は、新日本窒素肥料(新日窒)として再発足。

1952年 - 熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。

1953年 - 熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次ぐ。以後、急増。

1954年
8月1日、『熊本日日新聞』が「ネコ100余匹が次々と狂い死にした」と報道。これが水俣病の初報とされる。
熊本県水俣でのちに水俣病と認定された患者が12人発生。ほかに5人死亡。

1956年
5歳11か月の女児が新日窒水俣工場付属病院小児科に入院。この年、50人が発病し11人が死亡。
5月1日、水俣保健所が「原因不明の奇病発生」として水俣病を公表。のちに水俣病の「公式確認」となる。"

- Wikipedia (年表はまだまだ続くので、お知りになりたい方はご覧下さい。)

"明日のことを誇るな。
一日のうちに何が起こるか、
あなたは知らないのだから。"
- 箴言27章1節

△ 'Minamata' エキストラで参加しました。その時点まで知らなかったことばかりで、多くを学ばせて頂きました。

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