初恋を探すサルベージ3 終



投石は続いた。
僕は これといって一緒に帰る人もいなかった
ので 他に被害が及ぶことは避けられた。
テルくんとは方向が同じではあったが
僕は下校時にイベントがある為
とりあえず そそくさと学校を後にする必要があったので一緒に帰るのは
娘が卒業した後
僕が6年になってからである。

さて
テルと僕と 数名女子
に 話を戻そう。

下校時のイベント以外の
学校内は 平和であった。
心底女子は苦手ではあったものの
日常会話くらいはこなせていた。
テルの周りには いつも女子がいたからだ。

そんな中に
ハトリさん がいた。
通称 ハトちゃん

ハトちゃんは
女子の中では長身の部類ではあるが
およそ成長期の女性らしさを有しておらず

ツルペタ

だった。
髪はおカッパ(マッシュ?)で
襟足が綺麗にかりあげられて
清潔感がある。
細身で手足はスラリと長く
国語と音楽が得意だった。
パステルカラーのフードがついた服を
好んで着ていた。
ゲラで 少しのことで笑い出すと
授業中でも止まらないくらい
笑い上戸だった。

そして必ず 笑わせた相手を
ぴしゃん と叩きながら

「ちょっとやめてよ!🤣」

と 言うのである。
屈託の無い笑い とは
ああいう事を指すのであろう。

僕は
その笑い方が大好きだった。

なんとなく気がついた時には
いつもハトちゃんを笑わせていた。
それが使命かのように
ゆえに 先生にもよく怒られたものだ。

さて
笑わせる
にも ネタは必要である。
ゆえに ハトちゃんが好むネタ探し
が 始まる。
アニメやテレビ番組
音楽 話しながら情報収集し
家で しっかりと研究した。
(もはや病的に聞こえるな?)
次第に僕はオタクのように
アニメに詳しくなっていき
そして ここぞ!の時に披露し

「ちょっとやめてよ!🤣」

と 叩かれるのだ。
僕にとって それは至福の時だった。
下校時にどんなに嫌なことが待っていたとしても
彼女を笑わせたい の 一心だけで
休まず学校に行けた。

人を笑わせるのは 気持ちのいいこと

なのだと気がついた。

無論 笑ってくれる相手には
少々迷惑な場面も多かったのではあるが
僕は道化になることで
彼女との日々を楽しむことが出来たのだ。

ある日
彼女の机の上に連絡帳が開いたまま
置かれていた。
そこには

心臓の手術後のどうちゃらこうちゃら
が担任の先生から書かれていたもので
実は 僕は それを見る前に
彼女の胸元に 大きな手術跡があるのを
知っていた。
そこで いろいろと 繋がった。
やたらと か細く
未発達な身体の意味が
ようやくわかった

その後も それについて触れることはなく
自分の中でだけ 妙な納得をしたことだけ
よく覚えている。

小学6年の夏
母と父は 正式に離婚が成立した。

それと共に 再び引越すことになるのだが
卒業まで後半年ということもあり
学区外ではあるが
引き続き同じ学校に通えることになった。
片道40分程だっただろうか
急坂を登ったてっぺんにある学校まで
毎日通った。
苦ではなかった
学校に行けば ハトちゃんを笑わせられる
その任務があったからに他ならない。

卒業
となり 元々学区外な為
テルとは別れることになった。
お互いに身長が高かった僕らは

「バレーボール部に入って県大会で会おう」

と 別れた。
その後 クソ真面目に 2人ともバレー部員になる。
残念ながら中学時代は部活で会うことは叶わず高校時代に1度だけ電話があった
その時のテルは

すっかり オネエ言葉になっていた。(苦笑)

さて
中学に入り テルと仲間たち とは別れたのだが
ハトちゃんは同じ学校の同じクラスだった。
家は近くはなかったのだが
学区は 同じだったためである。

しかしながら
さすがに中学ともなると
小学生のノリは通じなくなり
次第に ハトちゃんと話せなくなっていった。

そんな夏のことである。

ハトちゃんが転校することになった。
理由はわからないが
転居先は
前述した 鎌倉 である。
今の僕からしたら
横浜と鎌倉は 全然遊びに行ける距離
ではあるのだが
当時の ボク には

海外

くらいの距離に思えた。

絶望しかなかった。

でも
きちんと伝えたかった。

僕は ハトちゃんが好きでした。


そこで手紙を書いて
お別れ会で渡した。
ついぞ その返事は聞けず終いであるけれど

名前と 顔が 未だに脳内から消えない

ハトちゃん こそ
間違いなく 初恋 の人
だったに違いない。
(返事が無いわけだから...ねえ...)

それから 高校時代
僕は やたらと

鎌倉 に 足を運ぶ。

もしかして

キミに会えるかもしれない地に...

end

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