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頑張って映画が見られるようになった話

情熱の衰え

とうとう来たか、と思った。アニメや映画が好きだった人たちが、歳を重ねる中で、突然それらを楽しめなくなる、という話はネットでよく聞く。「以前なら睡眠時間を削ってでも貪っていたのに、今では好きだった作品の新作が出ても興味を抱けない……」

私にとってそれは映画で、昔はTSUTAYAに通い、映画館にも通い、数年前まではサブスクも使い、多い年では年間90本くらい観ていた(年に300とかを見る本物のファンには及ぶべくもないが…)その本数が、2020年頃から激減する。原因は二つ。一つはコロナ禍がきっかけで、映画館にあまり行かなくなったこと。もう一つはオンラインゲーム、FF14を始めたこと。特にゲームは、私の精神の安定にかなり大切なことが分かり、はまり込みはしない程度に、様々なゲームを毎晩少しずつプレイするサイクルが出来た。

ゲームと映画のトレードオフ

どうも私にとって、ゲームをプレイするということは、「映像を見る」という行為と同じカテゴリにあるらしい。その頃から映画を見る習慣が減って、ネットフリックス等々も解約してしまう。アニメも良くチェックしていたのが、せいぜい一期に一つ気に入ったものを、レベル上げの片手間に見る程度。コロナが落ち着いて来てからも、映画館にあまり足が向かなくなった。
ただ次第に、映画を見ることが、小説を書くなど、創作に大切なことだと気付かされるようになってきた。知識やアイディアを得るという単純な部分でもそうだし、映画でしかできない表現や演出から学ぶことも多い。

それに、あまり泣いていないことに気付いた。涙に限らず、私はどうも映画を見ると、気持ちを強く揺さぶられる。本であれば読むスピードを調整することも出来るのだけど、映画は止まらずに押し寄せてくる。映画館だとなおさらで、大体7割くらいは泣き腫らして出口をくぐる。そんなわけで、人をあまり映画に誘うことができない。そこまで涙腺が緩いというわけではないが、映画が特別らしい。映画を観に行かなくなって、年間に流す涙の量もだいぶ減って、自分の感情がロボットのように平坦になっていっていないかが心配になる──こともないのだけど、そうやって時々大泣きするというのは、何かしらメンタルに良い効果があるような気もする。

それで昨年から、再び映画を見られるようにしようと努力を始めた。時々ゲームとSNSに触るのをストップする「休眠期間」を設けて、代わりに映画を見ようという算段だった。ところが、始めて見るとうまくいかない。映画館ならまだしも、家で見ようとすると2時間集中力が持たないのだ。映画の途中で一時停止したり、役者について調べたりしはじめて、それでネタバレを踏んで嫌になって中断してしまったりもする。この逆に、登場人物が辛い状況に陥ったり、逆にものすごく感動的なシーンに差し掛かると、「見ていられない」と思ってやはり一時停止し、落ち着いてからようやく続きに取り掛かったりということもある。

これが衰えってやつなのかなあ……と自分が心配になる。特に後者は、自分の情緒のタンクみたいなものが、映画の物語の強度に耐えられなくなってるみたいに思えて恐ろしかった。そんなことが続いて、努力したにも関わらず2023年に見たのは19本。映画館が7本なので家では月に一本程度のペース。

ハビトゥスを回復する

今度こそ、と不退転の気持ちで、新年から再チャレンジを始めた。新しい工夫:❶スケジュールをしっかり決め習慣にすること。❷一度再生ボタンを押したら、キーボードを遠ざけて触らない ❸寝る30分前には見終えて、ゲームやネットでリラックスする。(就寝直前まで見てると、感情をかき乱され眠れなくなることがある)❹以前は「何かに役立てよう」とか考えて、終わった後でなるべくメモを取るようにしていたけれど、それを考えず、とにかく「見る」だけでOK。

それぞれの戦略がたぶん少しづつ効いて、ジャジャーン、1月の間に25本の映画を見ることができた。ここ三年間のどの年間本数よりも、この月に見た本数の方が多い。最初は緩めの作品を選んだけど、次第にずっと見られずにいた重たい名作映画も自然と見られるようになった。

思ったことは、自分が困ってたのは実は「衰え」ではないのではという気付き。冒頭に書いた「好きなものに興味を持てなくなる」現象は、それまで続いていた習慣・リズムが仕事や人生の忙しさで崩れて起こっただけかもしれない。ちょっとの工夫や、「トレーニング」みたいなもので、それは結構簡単に戻って来るのかもしれない。休眠期間が終わっても、今後は定期的に視聴できるという安心感と自信がある。

以下は一月に見た映画の一覧。『紙屋悦子の青春』『駅馬車』が特にお気に入りでした。

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