続・指輪を買った話

ルーチンが出来た

前回、指輪を依り代に、書くことを「儀礼」として習慣づけてみよう、という話を書いたのですが、そこから約一ヶ月。これがものすごい効果をあげてるのでご報告。といっても、最近では指輪を嵌めるの忘れたり、呪文を忘れたりしてるんですが、ともあれ「毎日書く」はすっかり身につきました。

時間のある時には、二時間、時に三時間ぶっ続けで書けて、ふっと時計を見ると時間が吹き飛んでた、というのも普通。その間、資料を見たりはあるけれど、スマホ・ネットに一秒も触っていない。経験からして、こんな風に集中できるのって話が盛り上がる終盤を書いてるとか、特別な時でないと出来なかった。それが日常的に、全く無理せず出来ていてびっくり。

「儀礼」という装置の強さ

自己分析すると、❶まず「儀礼」という心理的なギミックが良くて →❷これに習慣化が促されて →❸書くこと全体のハードルを下げた、という感じ。これに加えて ❹朝一番にちょっとやる ことの威力が大きい気がしてます。

おそらくこの「儀礼」という態度が丁度いいのかと思います。「神様ありがとう」と「やんないとバチ当たる」がミックスされ、かみさま=外側に理由が置かれていること。内面的な何かで執筆モチベを保とうとする場合、「作る喜び」で頑張ろうとすればその日のやる気に左右され、「義務」にしてノルマを設定すると段々と嫌気がさしてくる。

これって、例えばちょっと早く家出て、通勤途中の神社をパンパン、と拝んで、ついでにそこに座って10分だけ短歌作る、とかでも良いと思うんですよね。実は宗教って、信仰心とは別に、そういう契機みたいなのを作るフックが一杯あって役立つ部分があるのかな、と思ったり(文化人類学で「機能主義」と呼ばれる理論に近いかもしれない)

朝イチ作業は三時間の得

以前はもっと、書き始めるまでにダラダラして渋ってた気がします。作業が始まると割と楽しく出来るんですが、PC立ち上げて最初の一行を書くところまでたどり着くまでが難しく、結局ゲームやコンテンツに逃げてしまう。指輪のおまじないを始めるのと同時に、とにかく一日の始まり、30分くらいでいいから、起きてすぐに書くように心がけたんですね。一度やっておくとどこかのスイッチが入るのか、夜の自由時間とかにもグダらずにすっと続きに取り掛かれる。

創作ってもちろん楽しいんですが、ただ、何かを完成させるためには、中長期的に続ける必要もあって、そこには波があるし、メンタルの状況にも左右されやすい……と長らく思ってたんですが、なんかこの一ヶ月、すごーく調子が良くて、分量的にも文庫100ページ分くらい書いてる気がします。しかも楽しく、無理してない。だから続けられる。なんか広告っぽくなってきたのでこの辺にしますが、創作で詰まり気味の方はぜひお試しあれ。

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