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ニシオギ短歌部に参加した話

お休みの夜、ビール片手に短歌を詠んだり読んだりする贅沢。
これ以上なんか言う必要がありましょうや? いや、無い。

無いのだけど、それだと話が終わってしまうし、こうした会に参加するのが初めてで、何もかも新しく、面白く、気付きが多かったので、感動が薄れないうちに、ちょっとまとめて置こう、と思ってペンを執る。

ニシオギ短歌部

西荻窪の本屋、BREWBOOKSで定期開催されてる「ニシオギ短歌部」に参加してきました。毎回大人気らしい。短歌の集まりのイメージが全然ないので、みんな立派な大島紬の着物とかでマイ筆と短冊持ってたらどうしよう……とビビってましたが杞憂でした。両隣の方も最近始めたばかりということで、「ルーキーチームで頑張りましょう!」と乾杯したところで部活動開始。

会の流れは:❶前半は著名な短歌をみんなで吟味。感想や評を言う ❷参加者全員がテーマ(今回は「冬」)を元に歌を書く ❸誰が書いたか分からないようにして感想を言い合っていく。シンプルに見えますが、この感想パートが、超白熱、ディープでドープでヤバい時間です。

即興で書くということ

感想パートの前に、まずは歌作りパートの話。「いきなり書け」って言われて書いたことが無くて頭はパニック。私ね、雨の降る昼下がりとかに、お気に入りのカフェで Lo-fi Hiphop Radioとか聞きながらじゃないと書けないんですよね。みなさんもそうでしょう? いやあ、短歌なんてのはさ、びんぼう極まった石川啄木みたいに孤独のどん底で書くものじゃありませんでしたっけ?
「はい、残りあと十分ですよ。書けましたか?」

ぶつぶつ言ってても仕方ないのでとにかくノートに向かう。最近呼んだ『習得の情熱』という、チェスのチャンピオンが書いた啓発本に、「チェスとか書くことも、音楽の即興演奏みたいなもんだぜ」と書かれてたのですが、音楽やってた私には嬉しい喩えでした。即興ってのは音を出さないと何も始まらない。文章はあとから推敲できちゃうから気付きづらいけど、書いてるそれぞれの瞬間は割とパフォーマンス、偶然的なところがあるという話。書くことを少し気楽にしてくれる。

「残り五分です。延長タイム欲しい人いますか?」
ノータイムで手を上げ、抽象的な考えは置いといてもっと具体的に。テーマは先に出てたので、この前日、電車の中で(電車の中ってなんで短歌が浮かぶんでしょうね?)「冬」から連想する言葉を準備していました。以下画像。

「冬」からの連想

ここから、「スノーブーツ」に目をつけて、去年の北海道旅行の記憶:ふわふわファーコートのお姉さんだろうと、足元は重たそうなブーツだったなあ」にひっかける。さらにそこへ、大好きな須賀敦子のエッセイで、とあるドイツ人が「違う違う、ドイツの靴はもっとすごいのよ!」と誇る場面が重なって、それでできた一首がこちら。

違う違うそんなもんじゃない雪国の冬靴はもっとずっとヘビーデューティー

どうでしょう。「いきなり書く素人」なりに感じたことは、❶何かしら準備はあるとよい。❷体験や連想との関連付けをする。❸書きながら出てくる即興性も大事 みたいな戦略が役に立ちそうということ。「ヘビーデューティー」って言葉は書きながら自然に出てきました。何もなかったら書けなかったと思う……他の皆様が全員提出されたことに驚きました。

短歌の短さと評

感想パート。他のみなさんの歌については詳しく書きませんが、このプロセスがとてもとても良かった。

いきなりちょっと抽象的な話。短歌・俳句は世界最速・最短の芸術形式の一つで、なおかつ文章なので、音楽や抽象画とは違って「ことば」に限界されている。例えば映画を批評しようとすると、「キャプテンアメリカは共和党、アイアンマンは民主党の象徴で……」みたいに、読み解き・考察・解釈が複雑になって、すれ違って別の作品について話してるみたいになることが往々。一方短歌だと、三十一文字という短さが、その歌についての語りを、常に近い位置に保ち続けてくれる。これがすごい。会ったばかりの人とこうして「共同で楽しめる」経験はちょっと覚えがない。

しかもその読みがそれぞれ深いし、自分と全く違う視点・価値観・世界観が覗けて面白い。その人の経験までが感想からにじみ出てくるようでびっくりする。何時間のおしゃべりよりも、一首とその感想がその人を伝えてしまうような──と言うとちょっと恐ろしいようでもあるけれど。

参加する前は、「自分の創作についての他人の意見を聞く」のが大事なのかな、と思ってたけど、むしろ他人の歌について、自分の感想とは異なる視点との比較の方が面白かった。まあ自分の歌への感想は、ドキドキして冷静に聞けなかったし。

なぜ他者が大切なのか

私は自由律とか破調の歌が好きで、これまで一人でもくもくと歌を作っていたし、「まあ、みんなとはちょっと違うところでやってくぞ」みたいなナマイキもあったんですが、考え方がくるっと変わる。「勉強になった」というのとはちょっと違うなという気もするんですが、具体的なところだとまず短歌の読み方が変わる。広がる。いま歌集を開いてみると、短歌部で聞いたような他の人の視点がちょっと自分に宿って、別のものが見える感じ。

その広がりがまた自分の創作に戻って来る。「上手くなる」というより、自分が詠めるもの、見えるもの、繋げられるもの、その可能性の地平が横に広がるみたいなイメージ。一回行ったくらいで何言ってるんだという気もするけれど、それくらい良かった。アットホーム感ありつつも、あの静かな集中と熱気(そしておいしいクラフトビール)。また参加したいです。

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