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両腕でゆく巡礼者

私はヒマラヤをトレッキングした復路にあった。点在する集落は遠く離れていて、ガレ場の路は足元が悪い。耕作地などはなく、乾いた山肌の向こうに白い連峰が鮮やかに映える。

下から集団が登ってくる。20人ぐらいはいるだろうか。先頭は、両足のない、両腕で歩く男だった。

太く逞しい肩と上腕。手にはゴム草履を履いている。両手を前につき、振り子のように上体を運ぶ。足は根元から欠損している。その後ろから、子どもたちが静々と付いてくる。麓の村から彼に付き添っているのだった。

彼は何故、両足がないのか。三つ考えられる。ひとつは先天的な障害。ひとつは事故による障害。ひとつは物乞いをさせるために大人が切り落とした。

ただでさえ歩くのが困難な体で、石だらけの険しい山路を登ってくる。伸びた髪を振り乱し、一心不乱に。どこを目指しているのだろう。この先はますます急峻になり、やがて世界で最も高い山脈が立ちはだかる。

五体投地で聖地に辿り着き、そこで力尽き、息絶える人がいる。彼もそのひとりではないだろうか。両腕だけで聖なる山に分け入り、もう帰ってこない覚悟。その先にある彼の幸福。

ヒマラヤの向こうはチベットである。もしかしたら、カイラスを目指しているのか。チベットの民は聖山であるカイラスを五体投地で巡る。しかし、ここからカイラスまでは果てしなく、あまりにも果てしなく遠く、険しい。それでも行くのか。

付き添う子どもたちは、男を手助けしない。次の集落に着くと、そこの子どもたちが受け継いでさらに上へと付き添っていくのだ。

私は路をゆずり、巡礼者と子どもたちの神聖かつ壮絶なる列を見送った。

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