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鰯と靴

近くの街の食品店で物色していると、オイルサーディンの缶詰があった。200円程、安い。表示には、原産国ラトビアとある。ラトビア?バルト三国の?

意外だった。スペイン産は見たことがある。しかし、バルト海から来ているとは。想像が膨らみ、購入する。開缶すると、頭を落とした小さなイワシがきれいに並んでオイルに漬けられている。

食べてみる。実に美味しい。しっかりと燻製されている。それからというもの、酒の肴に、パスタに、キャンプのアヒージョにと買うようになった。

バルト海で漁師が網を引いているのだろうか。どんな人が水産加工場にいて、どんな作業をしているのだろう。どれぐらいの収入で、どんな暮らしをしているのだろう。

『ヨーロッパの100年』(ヘールト・マック著、徳間書店)を読み、気が遠くなった。民主主義の先輩として極東から羨望してきた国々が、どれだけの血を流し、尊厳を奪ってきたのか。『東欧革命1989』(ヴィクター・セヴェスチェン著、白水社)を読んだ。ソ連の衛星国による恐怖政治は、民衆の勇気により瓦解した。それは一瞬の出来事で、小さなレジスタンスを灯しつづけた帰結だった。

なかでも、バルト三国と称されるエストニア、ラトビア、リトアニアは、ずっとヒトラーやスターリンに蹂躙されてきた超小国である。1989年8月、三国の首都から首都へと、200万人もの人が手を繋いでクレムリンに抗議した。総人口の1/4といわれる。かつて日本で、このレベルの民主化運動があっただろうか。

そんな読書体験があったものだから、ラトビアの鰯に吸い寄せられたのだった。

ロシアがウクライナに侵攻し、彼の地で緊張が高まっている。徴兵制が復活している。アイデンティティの構造は、私と大きく異なるのだろう。

リユースショップ(2nd STREET)で一足の靴を見つけた。しっかりとしたトレッキングシューズで、2千円台だった。履いてみるとサイズはぴったり。新品と見まごうばかりに使用感はない。San Marcoというブランドで聞いたこともない。調べるとイタリアのメーカーで、新品なら3万円相当。タグにはエストニア製とある。またもバルト三国が現れ、私は購入した。

喜び勇んで登山に出掛け、1時間ほどで片足のソールが剝がれた。一部ではなく、ぞろっと全部である。引き返すわけにもいかず、片足ソールなしの地下足袋のような状態で歩き、もう片足のソールも剥がれた。信じがたい不良品である。そのまま私は一泊二日の山歩きを敢行し、心身ともにぼろぼろになって生還した。

エストニア人よ、今やIT先進国の誉れ高い賢明なるあなたの国でつくられた靴です。中古品だとしても両足のソールが2時間以内に剥がれ落ちるなんてことがありますか。本体はGore-Tex、ソールはVibramですよ。それともこれは時限爆弾ですか。

ショッピングモールに店を構える修理店まで1時間ドライブして持ち込んだ。絶対剥がれないとは保証できないが、3千円で接着できるという。エストニア製だというと、どこそれ?という顔をした。

ま、2千円で買って3千円で修理しても安いじゃないですか。店員にそう言われ、ふたりで笑った。


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