ニコニコ学会βと市民科学

ニコニコ学会βへの鋭い批判がやってきた。なんと「Nature」から。2020年4月3日に公開された以下の記事では、日本における市民科学の位置付けを問うている。

https://www.nature.com/articles/s41599-020-0434-3
「Science by, with and for citizens: rethinking ‘citizen science’ after the 2011 Fukushima disaster」Joke Kenens, Michiel Van Oudheusden, Go Yoshizawa & Ine Van Hoyweghen

掲載個所抜粋の日本語訳を掲載する。

市民のための、による、ともにの科学=市民科学?

市民科学の上から下まで

日本における市民参加型科学とは何を意味し、何を意味しないのか?

前述の科学技術白書(2015)では、文部科学省が「市民参加型科学」プロジェクトの例として、「はなまる・まるはなプロジェクト」と「ニコニコ学会」を挙げている。

Wiggins and Crowston (2011)の類型論によれば、「はなまる・まるはなプロジェクト」は、プロの科学者のために必要なデータを市民に集めてもらうという意味で、市民参加型科学の一形態と言えるだろう(「はなまる・まるはなプロジェクト」、2019)。プロセスを通じて、科学者はプロジェクトの設計と分析を担当している。

ニコニコ学会も同様であるが、この学会は「ユーザー生成コンテンツ」をベースに運営されており、「ユーザー・企業・学術研究が協働して研究を行う」空間を目指していることから、市民科学の共創的な側面を示唆している(ニコニコ学会、2019)。

本研究でさらに注目すべきは、どちらのプロジェクトも「市民科学」という言葉を採用していないことである。彼らは自分たちを市民科学プロジェクトと考えているのだろうか?

はなまる・まるはなの研究者が英語の学術誌「Scientific Reports」で発表する際には「市民科学」と呼んでいるが、日本の聴衆に伝える際には「市民科学」という言葉は使わない(Suzuki-Ohnoら、2017)。

「ユーザー参加型研究」は「市民科学」なのか?

実を言うと、ニコニコ学会βと市民科学の関係については、すでにこちらの記事に書いている。

https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=8&item_id=195481&item_no=1 
「オープンサイエンスの動向と情報科学の役割:5.シチズンサイエンスから共創型イノベーションへ -ニコニコ学会βが示した一般市民による科学の可能性-」

ぜひ全文を読んでいただきたいが、関係する個所だけ抜粋して紹介する。

以下、引用開始。

ニコニコ学会βと市民科学

 ここまでのつながりを文字通り捉えれば、ニコニコ学会βは市民科学の一種なのだという理解につながるだろう。実際、市民科学とのつながりは強く意識していた。

 市民科学とは、シチズンサイエンスの訳語であり、一般市民が行なう科学を意味する。だが、日本においては、専門家が科学的知見を独占することによって生まれてきた弊害を、一般市民からも科学にアプローチすることによってその問題を解消するという方法論を「市民科学」と呼んできた歴史がある。

 具体的には、原子力問題においては、物理学者である高木仁三郎が、原子力の専門的知識を背景に、「原子力資料情報室」を設立し、一般市民の側にたった情報提供を続けてきた。

 注目すべきは、中心人物はプロの研究者だったということである。そのような人が、あえて在野に移り、一般市民として情報発信や反対運動の支援を行ってきた。つまり、日本における市民科学とは、権力が科学を独占してきた状況に対抗するために、必要に迫られて発足した活動である。日本における市民科学は、多くの場合は国家権力に対抗するための市民活動を意味してきたのが実体だと言える。

 そのような市民科学を背景とした反対活動がずっと続けられていたにも関わらず、東日本大震災における原発事故は起こってしまった。市民科学に関わってきた人たちにしてみれば、さぞかし無力を感じたことだろう。その活動を横から見てきた私にとっても、強く反省する思いだった。

 ニコニコ学会βは、そのような無力感を背景に、次のステップを模索するために産み出したものである。ニコニコ学会βを市民科学の一種に位置付けることは間違っていないし、大変ありがたい評価だと言えるが、これまでの経緯を考えた上では単純化しすぎだと感じる。市民科学が活動してきた歴史に深い経緯を払いつつも、その次の取り組みの必要性を感じ、乗り越えるべく考えた次のステップなのである。

 ニコニコ学会βと市民科学の大きな違いは、権力との関係性だと考えている。つまり、権力に対して明示的に対抗することなく、同時に一般市民の側に立って、その力を取り入れられるような場の構築を目指したということである。これは実体としては難しいことであり、そのどっちつかずの曖昧な立場を批判されたこともある。それでも、このような立場をとり続けることでしか、市民科学の次のステップを模索することはできないだろうと判断し、この道を選んだのだった。

 このことを考える際に、私はフーコーの権力理論を参照している。ミシェル・フーコーはフランスの哲学者であり、身体や監視をテーマとした理論を展開していた。彼はインタビューに答える形でこう言っている[4]。権力を常に悪だという人がいるが、それは間違いである。権力は力であり、それは当然のことながら良い力として働く場合もある。だからこそ一般の多くの人に支持されている。一概に権力を否定する立場は間違っていると。

 ニコニコ学会βに影響を与えたもう一つは、「暮しの手帖」である。本紙を創刊した花森安治は、戦争を体験した庶民の立場から、徹底的な反国家、反企業の立場を貫いた。名物企画である商品テストでは、一切企業に気兼ねすることなく、辛口に批評した。その中でも、石油ストーブの商品テストは有名である。なんと、実際に住居を一軒燃やして火事のテストを行っている。

 花森は、戦争を二度としないようにするためには、わたしたちひとりひとりが、衣食住を大切に思うことが大事だと考えた。暮らしの手帖は、もともと「美しい暮らしの手帖」という名前だった。花森のいう「美しさ」は、必要なものを必要、不要なものを不要といえるユーザの姿勢を示しているように思える。「暮しの手帖」の見返しには、「これは あなたの手帖です」と書かれている。「ニコニコ学会βはあなたの学会です」は、その直接的な引用である。

以上、引用終了。

おわりに

こうして自分の立場を表明してみると、恥ずかしいものですね。説明しないでいられるならその方が良かったが、批判というのは大事なものですね。

本文の中で2人の人物を紹介しているが、やはり後者の方が私の気持ちに近い。これからも、市民科学者としての花森安治を目標として生きていきたい。

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