「不便益」
こんにちは。えとろぐです。
30歳を超えて数年が経過。最近「不便を受け入れる」ことが精神的な安定につながるんじゃないかと思うようになりました。
「心地よい暮らし」を実現することが妻と私の共通の目標です。この目標を達成するために大切なことの一つが冒頭の「不便を受け入れる」ことなのではないか、と最近感じています。
ちなみに「不便」と聞くとどういった印象を受けますか?
「絶対いや」
「なくすべき」
ですかね。
私自身、製造業という大量にモノを作り続ける業界で働き続けてきたので、不便やムダに対してネガティブな感情を抱いていました。
しかし、マイホームを購入したり、カメラを始めてみたり、家族との時間を何よりも大事にしたり・・・
若い頃から環境が変化することで、私の価値観にも変化が生じてきました。
このように思うようになってきたのですね。
仕事、ビジネスという文脈の中では少ない労力でどれだけの付加価値を生み出せたかを問う【生産性】やヒト・モノ・カネ・情報などの資源を効率よく配分する【ムダの排除】が問われます。
価値観が変わった今でも、上記2つの事柄は非常に、非常に大切だと考えています。(大事なことなので繰り返しました)
ただ個人の生き方に限っていえば
「合理性を追求した生き方にどれだけの価値があるのか」
と私は疑問を抱いています。
様々な時短家電が生み出され、すでにある機能もどんどん向上しているのが現代です。
このおかげで重労働や時間的・物理的な身体の拘束から解放されたことは喜ばしいこと。
ただ、突き詰めて作業時間を圧縮したとして、待っているのは次の作業だったら?その次もまた作業だったら?
こんなことを思うと、不便やムダを省くことだけにあまり意味はないと感じてしまいます。
不便やムダを排除した先で何をするのか。
はたまた作業自体に意義を見出すのか。
これらを自分自身の中で確立しなければ、昨今の技術革新は私たちの心の豊かさに寄与しないと思います。
こんな大人に成長していきたい、そう思います。
えとろぐ
最後まで読んでいただきありがとうございます! 記事は読みやすかったですか?あなたのためになったでしょうか? 私が体験したこと、学んだことが少しでもあなたの心に残るととても嬉しいです。