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他人軸で生きるのもアリ

自分軸という言葉がある。

はっきりとした定義は分からないけど、ここでは「自分で判断する」や「自分の基準で考える」といった意味合いで語らせてもらう。

他人と比べたりしないで「自分が満足ならそれでいい」などの考え方ができるのもまた、自分軸で生きている人と言えるだろう。

ただ「自分軸で生きないと幸せになれない」とやたら押しつけられる事も多く、個人的には少々辟易。そもそも、こちらに考えを委ねる語尾でもなく「この意見が絶対だから沿え」とも受け取れる決めつけ言葉自体が、

他人軸の強制

に他ならないわけだし。ちょっと怖い。

他人軸で生きてはいけないのか

最初に言ったように、自分軸は他人と比べたりしないで自分で判断して決定していく生き方だと私は認識している。

よく見聞きする

「自分で自分を褒めましょう」

も、いわばそれの一部。

自分で自分を褒めるとは、他人にどう思われるかではなく自分で自分をすごいと思ったらそれでいいじゃないか――そういうニュアンス。「他人ではなく自分基準」の点で、まさに自分軸と言える。

もちろん、私は自分軸を否定するつもりはない。生き方として素敵なものだと思う。それを踏まえた上で、その上で、私は

他人軸の生き方もアリ

だと思っている。

「比べるなと言われても比べてしまうのだから思いっきり比べながら『くそったれ』と歯を食いしばって生きる」のもアリだし。「他人にどう思われるか気にしながら選択して角を立てずに平和に生きる」のもアリだし。

むしろ、それがいけない理由が分からない。

たしかに「比べるあまり・気にするあまり」のような、度が過ぎてよろしくない方向へ向かってしまうケースもある。比べすぎて、妬んで攻撃してしまったり。気にしすぎて、自分を抑え込んで病んでしまったり。

ただ考えてほしい。

「比べない・気にしない」だって、

度が過ぎれば迷惑的自己中

になりかねないのだ。

「自分は不快じゃないから」と開き直って騒いだり。「他人なんてどうでもいいから」と自分軸120%で好き勝手して負担を被らせたり。

なので、どちらがダメとかそういった優劣などなく、ましてや正解不正解などもなく、

度が過ぎればなんでも毒

なのだろうと私は考えている。

世界でもっとも美味しい液体と言われ、パック1本くらいなら余裕でイけてしまう某印コーヒー牛乳だって、飲みすぎれば糖分でやられるし。最終的には「程度」の違いだろうなと。

自分以外に褒めちぎられたい

じゃあ私はどうかというと、他人軸で生きるのも大好きだ。度が過ぎない程度に大いに採用しながら、毎日を過ごしている。

褒めるについてもそうだ。

前回は「褒める側」の立ち位置で語ったけど、今回は「褒められる側」に立って語らせてほしい。
無条件べた褒めマン|エトナシ サラ|note

これまで「自分で自分を褒めよう」と、何度も言われてきた。なんなら、過去のnoteでも似たテーマを扱って「オベーションしよう」と書いた時もある。でも、やはり人によって合う・合わないが出てくるもの。全員がそうすべきな案件ではない事だけは、忘れてはいけないと思う。

かくいう私だって、自分を褒めるのコマンドを選んでも、

「エトナシ ニハ キカナカッタ!!」

 となる場合も結構な頻度であるから。

先ほど言った過去noteでも書いたけど、小さな達成に対して自分を褒めても「で?」としか思えなかったり。虚しいだけというか。むしろ、

小さな事を褒めている自分が
情けなくて悲しくなる

なんて時さえある。

つまり、自分で自分を褒めるのは決して最適解ではないという事だ。だから、その論をさも唯一の正解のように広められるのは好きではない。

自分軸で生きなくたって、幸せを感じたりできると思うし。実際、私は地獄のような毎日の中で「他人に褒められたい」と思って行動して「褒められて幸せ」だと感じたりしている。

自分で褒めても「で?」としかならないけど、

他人に認めて褒めてもらえたら
「やった」と心がぴょんぴょん弾む。

それを目的に、偽善だろうとなんだろうと善行するのは全然ダメではないはず。度さえ過ぎなければ、自分軸だろうと他人軸だろうと素敵な生き方になり得る。あくまでも個人的にはだけど、そう体感している。

褒められないからといって他人を攻撃するとか度が過ぎた行動はしないけど、エトナシサラという人間は

自分以外に褒めちぎられたい

と常々思って生きている――そう知っていてもらえると嬉しいし、おはようからおやすみまでLION並みにいちいち褒めちぎってほしい。

まとめ

Twitterでは、この他人軸的な「褒められたい」をよくつぶやいているから、見飽きたほど知ってくれている人もいるだろう。

とはいえ、noteで存在を知ってくれた人も多いから、あらためて言語化。結果として、書いて良かったと思う。

まあ、宇宙の真理を究極的に疑問視して辿り着くアルティメットクエスチョンではないけど、突き詰めて考えていけば「褒められたいと思って行動すると決めているのは自分だから他人軸もまた自分軸」と言えるわけで、

全て自分軸やん

で着地する話ではある。

だから結局何が言いたいかというと「どちらの軸でもいいから私を褒め倒してください」って事。

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