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背もたれのない椅子

孤独について、たまに考える。

頓にというわけでもなく、実際以前にもそれをテーマに軽く掘り下げて書いたりした。

26:孤独を好むか好まないかはそれぞれ|エトナシ サラ (note.com)

当時の結論は、現在でも変わっていない。

ただ、あれから4年近く経って自分も新たな経験をしたり考えを深めたりしたゆえ、もうちょっと語りたくなった――それだけ。

例のパンデミックが起こる前と後で生活の変化が大きかった人も多いのか、ニュースや特集やSNSなどでも「孤独」のワードが目に入る機会が増えた実感もあるし。

今年は特に体調が優れなくて「今にも倒れそう……」の日々を堪えるのに精いっぱいで執筆があまりできていないけど、まあそのなんだ、間隙を縫った馬の骨の独り言に少々付き合ってほしい。

そういう椅子が当たり前だった

「孤独が悪いものとは限らない」

と書いたのは、先ほども言ったように4年ほど前。

詳しくはエッセイを読んでもらうとして、私自身はわいわいやるのが苦手だから「いろんな人と関わるか孤独でいるかどちらかを選べ」と強制されるなら、恐らく孤独のほうを取る。これも変化はない。

変わったとすれば、いや、正確に言うと「この数年ではっきり気づいた」とすれば、

ふとした時に危険信号が出ていた

という部分。

孤独は決して悪いものとは限らないし、楽しんでいる人もいる。賑やかさが無理、関わりが増えるのが苦手、気を使いたくない、夢中になれる趣味があるからなど、いろいろな理由で「気が楽だなあ」と思う面が私にも心当たる。けど、だ。

ある側面から見ると、孤独は

背もたれのない椅子

のようなものではないかと、最近思っていて。疲れて倒れそうな時に気づくというか。リラックスして寄りかかろうとした時に気づくというか。

※事前に言っておくと、この表現での背もたれは決して「誰かや何かをそういう使い方でしか見ていない」といった冷たい意味合いではない。

もちろん、最初から背もたれのない椅子をあてがわれたのと、うんざりだと思って背もたれを取っ払ったのとでも、感じ方は違うだろう。だから、念を押すけどあくまでこれは私個人の場合。

最初から背もたれがなかった身にとっては、それが当たり前だった。「助けはないもんだ」や「甘えてはいかんもんだ」と、きつく言われ続けてきた。

そんな私だったけど、大人になるにつれてありがたい事に背もたれを付ける経験がいくらかできた。それは、人であったり物であったり様々。

しかし、元々背もたれのなかった椅子に付けるのはシステム上難しいのか、外れる事も多かった。いずいなと、自分で外すしかなかったりもした。繰り返すうちに、根元は極端に脆くなった。

座り心地のいい椅子

そうやって脆い椅子に座り続ける中で、私は「これが分相応か」と思っていた。ある意味で納得していた。孤独にだって合う合わないがあるし、合う人にとっては全然アリな世界だし、突き詰めると比較的自分もアリ側だよなと。

でも違った。

繰り返す中でついた根っこの微細なヒビは、気づかないほど微小な信号を出していたのだ。パンデミックが直接のきっかけではないけど、間接的にはトリガーのひとつだったと思う。

なんだろう、

なくてもいいと思っていたのに
強く意識させられた瞬間怖くなった

というか。本能的に感覚が鋭くなってきた「せい」か「おかげ」か。いずれにしても「ずっと孤独でいいや」と納得していた私は、今はもういない。

人であれ物であれなんであれ、座り心地のいい椅子は私にとっては大切なのだと思い直している。自分には背もたれは必要だなと。

年齢を重ねていく中で、誰かや何かに甘えるのは決して悪い事ではないと知ったし。助けてもらうのも決して悪い事ではないと知ったし。そろそろ「頼り生きたい」と願ってもいいよな――と今では考えている。

言わずもがな、してもらう側ばかりではなく

するに足る自分でいたい

の姿勢もなくさない上で。

まとめ

Xは短文でいけるからマメに言葉を書いていたりするけど、noteのほうはそうもいかず。間が空いて幾星霜、久しぶりにまともな執筆ができたのはものすごく嬉しい。いやはや充実充実。

いつも言っているけど、こんな私の言葉を「楽しみ」と待っていてくれる人や応援支援してくれる人もいるから、休みながらも活動をやめずにいられる。そういう視点で捉えると、読者の方々もまた

とても温かな背もたれ

だと言える。

いつも、本当にありがとうございます。

吹けば飛ぶような小さな規模で、尚且つ最近じゃ蛞蝓(なめくじ)のペースでしか綴れない文章ながら、私にとってここは一番大事にしている空間。ありがたく、ありがたく、ありがたく寄りかかりながら、また丁寧に丁寧に書かせていただきます。

だから、塩かけないでね。

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