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ずっと変わらずあってほしかった

散歩道にある桜の木が切られたと聞いて、確かめに行った。
石像がまつられたほこらの傍らに、1本だけ植えられていた桜。
散歩コースの折り返し地点にしていたけど、最近はその道をあまり通っていなかった。

桜の木は根元から切られていた。
おがくずも断面もまだ新しく見えた。
祠も石像もすっかり無くなっていた。

その石像のことをずっと道祖神だと思っていたけど、今年「庚申こうしんさん」だと知った。
よく見れば、ちゃんと祠に書いてあった。

書いてあったことをざっくりまとめると、
(読み飛ばしても大丈夫)

庚申こうしんとは、旧暦で60日に一度巡ってくる日で、道教の教えによると、その夜に眠ると人の体内にすんでいる三戸さんしの虫が体から脱け出して、天に昇って天帝にその人間の悪行を告げ口に行き、天帝は悪いことをした人に罰として寿命を縮める。
三戸の虫は人間の寝ている間しか体から脱け出せないため、庚申の日は徹夜して過ごした。これを庚申待こうしんまちと言う。
平安時代、この夜に宴をはるのが貴族の習いだった。鎌倉・室町時代には上層武士階級へと拡がる。
その後仏教と結びつき、江戸時代には一般に広まった。皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりの中で、情報を交換したり、農作業の知識や技術を研究する場でもあった。
この地域でも昭和後期まで祭事が行われたが、いつしか取りやめられ、庚申堂を再建してお祀りするに至った。

祠の看板を要約

悪事がバレないためには一晩眠らなきゃいいなんて、面白い風習があったんだな。
皆で飲み食いしながら、徹夜をただ楽しんだんだろう。
それがすたれて最終的に、石像と祠を建ててまつったっていう着地点もなんだか可笑しい。

石像と言っても何かの形をしているわけではなくて、膝ぐらいの高さの丸みのある石に、「庚申」かな?文字が彫ってあった。

祠は瓦葺きで、なかなか立派だった。
いつもお花が供えられて、きれいに保たれていた。

私は散歩すがら、気まぐれに手を合わせたり、年始には家族の健康を祈ったりしていた。

そういえば、その祠はちょっとした坂の下にあって、小学生の時、その坂を自転車でスピードを出して下りながら、「事故りませんように。」って祈った。
神頼みもいいとこだ。

毎年春にはそこの一本桜が目を引いた。
見出しの写真は去年のその桜。

更地にされて、家でも建つのかな。

ずっと変わらずあってほしい、なんて、エゴかもしれないけど、寂しいものは寂しい。

庚申さんの由来も今年初めてちゃんと読んだし、私に信仰心はない。
それでもあの場所を、私なりに神聖に思っていた。



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