ずっと変わらずあってほしかった
散歩道にある桜の木が切られたと聞いて、確かめに行った。
石像がまつられた祠の傍らに、1本だけ植えられていた桜。
散歩コースの折り返し地点にしていたけど、最近はその道をあまり通っていなかった。
桜の木は根元から切られていた。
おがくずも断面もまだ新しく見えた。
祠も石像もすっかり無くなっていた。
その石像のことをずっと道祖神だと思っていたけど、今年「庚申さん」だと知った。
よく見れば、ちゃんと祠に書いてあった。
書いてあったことをざっくりまとめると、
(読み飛ばしても大丈夫)
悪事がバレないためには一晩眠らなきゃいいなんて、面白い風習があったんだな。
皆で飲み食いしながら、徹夜をただ楽しんだんだろう。
それがすたれて最終的に、石像と祠を建ててまつったっていう着地点もなんだか可笑しい。
石像と言っても何かの形をしているわけではなくて、膝ぐらいの高さの丸みのある石に、「庚申」かな?文字が彫ってあった。
祠は瓦葺きで、なかなか立派だった。
いつもお花が供えられて、きれいに保たれていた。
私は散歩すがら、気まぐれに手を合わせたり、年始には家族の健康を祈ったりしていた。
そういえば、その祠はちょっとした坂の下にあって、小学生の時、その坂を自転車でスピードを出して下りながら、「事故りませんように。」って祈った。
神頼みもいいとこだ。
毎年春にはそこの一本桜が目を引いた。
見出しの写真は去年のその桜。
更地にされて、家でも建つのかな。
ずっと変わらずあってほしい、なんて、エゴかもしれないけど、寂しいものは寂しい。
庚申さんの由来も今年初めてちゃんと読んだし、私に信仰心はない。
それでもあの場所を、私なりに神聖に思っていた。
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