私の中にARTはあった JAMログ #6(最終回)

この note はNo Borders さん主催の「自分の中にARTを持て!」というワークショップ終了直後のお気持ちです。

他の5日間も含めて、すべてこのマガジンにまとめています。


自分の中にARTを持て!という言葉と3ヶ月間過ごし、
自分の中にARTを持つ!というマガジンに毎回なにかをつづり
私の中にARTはあった!という言葉が最後に湧いています。

3ヶ月間、全6日間、私は何をしていたのかというと、好きにしていました。このワークショップに参加したことは、ここ数年の中でもひときわ「ただ、やりたかったからやった」取り組みでした。

久しぶりに鉛筆を買ってきて、カッターナイフでゆっくり削る
自分の手や顔をただ見る
やったことのないことをいきなりやってみる
同じものから違うものを感じ取る人がいることを知る
繰り返し同じ問いについて考える、形にする

そういう時間の中で出てきたことがいくつかありました。

私は、左右対称で規則性があるものを生み出そうとしている
それをみると安心する
3ヶ月の間何度も現れてきた感覚で、基盤みたいなもの
その基盤があると、その上で自由に過ごせる

私は、何かに集中したいと思っている
ひたすらそのことだけを考えたい、と思う対象があると
それが自分の動力になることを知っている

私は、何か表現したいと思っていて
小さい頃からその方法のそばにいたことを忘れていた
楽器を弾いたり、歌ったり、文章を書いたり、絵を描いたり
ずっとやっていたのに忘れていて
もはやできないと思っていた

そして私は、人も、ものも、何もかも
多面的であり、すごく多様であり
ひとつのものさしで測りきれないこと
それでもものさしを選ぶ場面はあること
自分とは違うものさしを選ぶ人がいること
いろんなことを「そうなんだね」とただ感じ取っていたい

透明なものを透明なまま見られるようにありたい

そういうことを今考えています。

なぜか忘れていたものが、今また集まってきてくれた感じがする。また楽器をやろうと思ったし、もっと制作をしてみたくなった。多分なにか表現したいものがあって、それを余すことなく表現する技量が欲しいと思っている。

誰かの話を聞き、対話をしていくこと、コーチングも私にとってはアートのような側面があって。対話している間、色、映像、景色、イメージ、単語、が浮かび上がってくることが多々あると気づく。

言葉にひどくこだわりがあって、文章に時間をかける自分をずっと知っていた。みんながさくさく送るメールを妥協できない自分に「はやく送ればいいのに」と思っていたけど、それだけじゃないとも思った。

自分の内側にあるものは自分で掬い上げなければ。
誰かの手を借りて、最後は自分で。

それから、だれか手を貸してほしい人がいるなら
いつでも手を差し出せるようにありたいとも思う。

そういう考え事の横で、活けた花がゆっくり枯れていくのが見えていました。枯れていく途中を綺麗だと思う自分は最近見つかりました。


私のJAMログはこれで終わりです。

3ヶ月間を一緒に味わってくれた北斎のみなさん、案内人のあっちゃん、こっちゃん、ナベさん!みなさんからの言葉がいつもすごくあたたかく、嬉しく、広がりを持って過ごせる時間をいただきました。
ありがとうございました!

最後に、だいすきなひろのさんが描いてくれただいすきなわたしたちを。


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