ライカを買わない理由をライカを買ってしまった人が書いてみる
いや、買えない理由が真っ先にくるんだけども。
でも敢えて買わない理由。
突き詰めて言えばコスパの悪さだ。
それは機能が値段と比してシンプル過ぎる、ということではなくて。
むしろライカの機能は、その手触りとか重さとか、操作ダイヤルの実感とか、数値化できないところにこそあると思っている。
だから、出来ることが少ないのに高いということを言いたいのではない。なんならxpro2 でさえマニュアルフォーカスばかりの人間だしね。
自分が撮る写真には高機能なフォーカスなんかいらない。運動会以外。
僕が言うコスパは、カメラの寿命を指して言うわけだ。
ここで言うライカはデジタルライカのこと。
M3を持っているけれど、フイルムカメラとしてのライカは一生モノだと思う。フイルムさえあれば、の話だが。
壊れても機械式だから修理が可能だ。
けれどもデジタルになってからは、撮像素子がイカれたらもう使えない。
M9が象徴的だ。
素子の剥離が起きるということで、交換などの対応をしていたM9だが、CCDが調達出来ないいま、壊れてしまえばただのハコである。
ほかのカメラならまだ価格がそれなりなので許せてしまう。
しょうがない買い替えするか、と言うことが、カメラそのものが高価なモノとはいえ、まだ可能な価格だ。
これを知ったとき、はて、ライカを買うことは、一生モノを買うことになるのか、と疑問に思う。お値段としては、一生モノのそれだし。
一般的に人生の中で多分いちばん高い買い物は家だろう。その次が車。ライカはシステムをある程度揃えてしまおうとすれば、車一台はゆうに買えてしまうわけで、趣味で使おうとするものにそこまで投資できるほど豊かな家庭ではないので、どうしても躊躇してしまうのだ。
他の理由もある。
記録媒体の変遷だ。
かつてMDという音楽記録媒体があったが、今やMDを見ることはない。コンピュータでも、フロッピーだったものが、MOとなり、今や持ち運び可能な媒体はフラッシュメモリだし、いや、クラウドを使ってどこでもデータを取り出せるようにもなった。
カメラの記録媒体も、色んなものがあったがほぼSDになった。
こうしてそんなに時間を要せずしてストレージ関係は変化していき、過去のものは使えなくなる。ライカを10年と使ったとして、記録媒体がその間に変わるとまでは思わないが、これが一生モノとなると、その可能性が出てくる。
これは問題だ。どんなに丁寧に扱ったとしても、環境のせいで使えなくなることにでもなったら、それはそれで終わり。まるでまだ使えるVHSのような存在になってしまう。
電子的制御を組み込むことで、あらゆるものがその寿命を短くした。以前の家電類はすぐに壊れてしまうという事で買い替えを喚起し、その度ごとに新製品になんらかの新機能がついていて、それが経済の発展に寄与したわけだが、今の家電は早々に壊れることは少ない。
新機能がついたとしても、家にあるものが壊れなければ買い替えをすることがないし、もはや機能はあたまうち、テレビなら、録画ができてそこそこ画質が良ければ買い換える必要性を持たない。
そんななか、電子的制御の出番である。もっと言えば通信機能、ネットワーク化が、買い替え需要を促進させるものとなった。そしてそれがかなり強い。
だって、古くなると、強制的に使えなくなるんだもの。
iPhone4を長らく使った。するとアプリやらなにやらが対応しなくなって、僕は買い換えることになった。iPhone4はSが派生としてあるが、スティーブ・ジョブズが関わった最後の機種。それからデザイン的にもとても好きで、大きさのちょうど良さもあって長く使いたかったのに、だ。特にデザインはそのレンズが、2個ついている変わり具合と、カタチに惹かれて最初に自分で買ったカメラ、コダックのV570とデザインが共通しており、おまけに質感はiPhoneの方が上、そりゃあ、長く使いたくもなるもの、なのにだ。
そう、これからの製品は、世界と繋がるという魅力を売りながら、実は私たちに強制的な買い替えを促すことが容易になってきているのだ。
そんな外部からの強制的使用不可状態という危険性を孕んだものに、何十万というお金を使うことができる?
ライカはM10からWi-Fiこそあるものの、まだそう言うITとは遠いところにあるけれど、ストレージにしろ、なんにしろ、いつかは使えなくなる日が来るかもしれない。そんなものにあの値段を出せるわけがないじゃないかと思うわけだ。そんなモノは古びてもヴィンテージにはなれない。ゴミ箱に消えていくだけである。
ただ、レンズはまだ違うと思っている。そうしてそのレンズこそが、そのメーカーの思想の根幹を支えていると思う。
ライカのレンズはバカ高い。が、オールドレンズから最新のレンズまで使えるマウントはもはや数少なく、その点で言えばライカを使う理由はあると言える。
おまけに日本製のカメラメーカーのレンズもバカ高くなった。買い替えしてもいいかと思わせる価格だったボディも、ちょっといいやつだとライカの半値くらいの高さにまでなっている。フラッグシップはもはや大きな差異もない。(それでもレンズはシグマなどサードパーティ製に魅力的で安めのレンズがあるけど)。カメラを買うと言うことはレンズも買うということ。スマホの写真より画質の良い写真を撮りたいなら、やはりレンズこそ選ばなくてはならない。
すると、やはりライカが魅力的になってくる。レンズのためにボディが欲しくなる。50ミリだけでも純正で複数のレンズが揃えられ、フォクトレンダーやツァイスなど、さらには中華製のものも含めたら、選択に迷うほどの豊富さだ。そしてオールドレンズまである。それは筆を選ぶかのようなものだ。さらにはそれらのレンズはオートフォーカスにも対応しておらず、だからこそ電子的制御がないために長く使っていける。
そうだ、ライカに触れたいならレンズをこそ選ぶべきなのだ。マウントアダプターがいま豊富故にボディはなんでもいい。レンズの性能を全て味わうことはできないかもしれないが、それでも片鱗くらいは感じられるはずだ。
もはや、カメラを買うということそのものが、かなりハードルの高さを見せつけている今、どうせならいいものを買いたい。
だが先に挙げたようにストレージやWi-Fiのような機能がいつか使い物にならなくなるんじゃないかという不安があるなか、どんなに故障しないように丁寧に扱ったとしても、環境がそのカメラを使えなくする可能性を孕んでいる。
そう言う可能性を持ったカメラを買おうとなれば、それは容易に買い替えられるだけのメセナを持った人か、カメラの賞味期限を覚悟して、今を楽しみたいという刹那的な快楽を味わうことにした人のどちらかということになる。そうして間違いなく、僕は後者だ。
ライカがおかしくなったり、ストレージが無くなったりするかもしれないという不安を、シャッターを切ると同時に振り払うしか、ライカを手にする道筋はない。
とかなんとか言いながら、僕が買ったのはボディの方だし、10年ほど前の機種だ。圧倒的に後者な僕はそれでもライカで写真を撮れるという喜びが大きい……
……はず。
せめてあと10年、なんとか使えるようであってくれ、と祈りつつ、僕はライカMtyp240との今を楽しんでいる。だって結局、買ってしまったのだから。
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