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ライカが来てから僕はオカシくなっちまった。

 一昨年の冬の終わり、僕はリビングで寝ていたのだと記憶する。薄い毛布で寒さに目が覚めて、寝室に向かった。家族たちは眠っていて、僕は妙に目がぱっちりして、仕方がないからスマホを見ていた。

 仕事柄数年に一度、どっしりとストレスというかプレッシャーというか、そんなものが押し寄せて眠れないことがある。馬鹿みたいに食べたり(食べれない、という状態にならないのが悲しい)、眠れなかったりする。

そんな時はとても危険だ。

仕事以外の思考力がぐんと下がる。
判断力消滅といえばいいか。

そんな時にライカM typ240が相場よりも安くでマップカメラに出ている。元箱やら他備品がないからその値段だったわけだが、元々の思考能力の低下のうえ、夜中の2時、そんなところまでチェックするはずもなく、僕は一旦妻を起こして相談しようとした。
が、待てよ、夜中にそんなことで起こされたんじゃたまらないだろう、でも、そうしているうちにこのカメラ売れてしまうかもしれない、なんせ相場よりかなり安いんだもの。
そんなこんなで購入してしまったのだった。
40を切る価格だった。
但し書きなんか見ると言う思考がなかった。

さて、そうして手に入れたライカのせいで、今度はレンズが増えて行った。

それまで貯めていたカメラ用の資金は使い果たし、Canonやフジのコンデジを手放した。フジの買取り相場がおかしくなっていたのも追い風となった。

今あるライカレンズは純正だけで
テレエルマー135mm
ズミクロン90mm 3rd
ズミルックス75mm 2nd
ズミクロン50mm 2nd
ズミルックス50mm asph
ズミタール50mm

6本も。奥さん、ちょっとあなたのダンナどうかしてますぜ。

いずれも、譲り受けたり、ネットオークションや店舗で相場より安くしてもらったりしたもので、それまでの機材を売りに出したとはいえ、富士フィルムの方も機材入れ替えしたりしているから、実際通帳の額面が減っていった。2023年は最も機材に費やした一年となった。機材の総入れ替えを行なったわけだから。

テレエルマーとズミターに関しては10年以上前にM3を職場の上司から譲っていただいたときについていたもので、メンテナンスに出した費用のみ。だから実際ライカM240入手の後に手に入れたのは4本。でも他中国製の0.95とかアポスコパーとかノクトンとかヘリアーとか、サードパーティのレンズもこの過程で手にしているので、僕のこの2年はどうかしていると思う。

それでいて撮影は土日の、基本朝のみ。それ以外に時間は取りにくい。家族で出かけるときもカメラは持っていくが、だからといってそう撮るわけではない。

するとこんなにレンズがあるにもかかわらず、それらを十分に使い回すのが難しくなる。意識していないと、いつもズミルックスばかりになって、自身の高い物はいい、という盲目的無意識の領域を垣間見ることになり嫌悪感を覚えてしまう。

ただ、本当に無理して買ったこれらを、買ってよかった、と心底思う瞬間というのがあって、それはズミルックス50 75やズミクロン90mmの立体感だったり、ヘリアーの滲みだったりが、ちゃんと写真にその効果が反映された一枚として撮れた、と思うときだ。上手い下手ではないがこのシーンはそう言う描写をしてほしかったんだ、というふうに。

冬になるとモノクロが撮りたくなる。これでなんの編集もしていない。

ちょっと前にM10-Pを手放すんだけど、どう?というDMをいただいた。
もうさすがにそれに手を出すにはちょっとつらい。独身時代に作った、虎の子の満期を迎えている定期を崩せば譲り受けることかなわないわけではない。プラス240を買取に出せばちょうどだ。いや、この際ライカ2台にしたれ、ズミルックスのレンズを一本売ればそれで賄える。そうまでしてもM10-Pモデルの、赤バッヂのない、ボディがフィルム機と同じ厚み、そして何より街中を撮るのに向いた静音シャッターと、夜でも撮りやすい高感度耐性は魅力的だ。

そう、もう少し無理すれば、240をお嫁に出さないまま、ライカM二台持ちなんて夢のようなこともできなくはない。


けれども、ここ最近、先ほど書いたように使い回しきれていなかったレンズたちを意識的につかうようにしてきた。
これが面白い。

アポスコパーのキリッとした写り、
ズミクロン50mmの取り回しの良さと写りのバランス、
ヘリアークラシック50mmの背景の饒舌さ、
ノクトン35mmの不思議な立体感、ハレーション。

カメラやレンズなんざを何本も持って撮るなんて、写真趣味でなくカメラ趣味の悪手の極みみたいなもので、そこに写真の上手さとか一切関係ないのだが、手元にやってきたレンズたちをおいそれとお嫁に出すのは父ちゃんムリだよ、となってしまうのだ。

それはCanonやx100シリーズを手放すときにもあった現象だった。が、このレンズたちはより一層、そういう思いにさせるものがある。

以前は時計とか服とかそういうものを高いものにする人の気持ちがよくわからなかった。ブランド品なんか買って、何がいいのやら、と。ただ、でも、それを身につけている自分、という気持ちよさ。僕がライカに執着しているのは、どんなにレンジファインダーが楽しいとか、このレンズが写りがいいんだ、とか述べても、結局はその高いものを所有しているということに着地してしまっているだけなのかもしれない、そう思うと、やっぱり自己嫌悪に陥ったりしてしまう。僕はどうかしてしまっているのだ。

さて。
ライカM240に不具合が発生した。シャッターダイヤルが回せど一部反応してくれない。使えなくはないが、やはり気分は良くない。

保証期間内だからなんとかなるかな、とは思うも、これを自然故障扱いにしてもらえなかったらどんな請求額が来るんだろうと考える。もしもとんでもないことになったなら、そこを境にちょっと夢から覚めるよう努力してみようかなとも考える。レンズはまあ、コンピュータが入っていない分一生モノだからいいとしても。ライカは、僕のような一般市民が手に入れるべきカメラではなかった。色々ものの考え方が崩されてしまった。アレを手に入れるための金の計算に捉われてしまった。そりゃカメラ趣味は大なり小なりそういうところあるんだけど、20万!?安い、なんとかしますっ!みたいな発想って、人生ライカに振り回されてんじゃないの?と冷静な部分の自分がつぶやいてもいる。

ただ、マニュアルで撮ることに楽しみを覚えた僕は、ライカのある生活から離れられそうにもない。

ちょっと面倒な世界にハマってしまったな。やはり僕はライカが来てからオカシクなってしまったようだ。いい写真を撮りたい、じゃなく、いいカメラで撮りたい、になってしまった末路とでも言えばいいのか。でもね、朝の散歩の時に、ウキウキしている自分がいるってのは確かなことで、それが例えば今週のような仕事詰んでしまっていますって時の慰みになっていることも本当のことなんだ。だからまあ、いいか、と思うことに、今はしておこう。

ライカがやってきてから、僕はオカシクなっちまった。
でも楽しくもある。それも事実なのだ。

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