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亡霊が見る夢 第3話(教会)

 赤いレンガの建物が今日もトーマスの通勤路に複数存在していた。

 今日はパレードもなく、実に静かだったが、パン屋の鳴らす鐘の音が遠くから響いてきた。

 今日の朝ご飯を食べていないトーマスは吸い寄せられるようにそのパン屋に歩み寄るのだった。

 そうすると、シスターさんが数人パン屋に行列を作っているのが見えた。

 たまたま教会で働いている人の団体様がパン屋へ訪れたのだろうと思った。

 そうして、トーマスはお利口にシスターさんたちが買い物を済ませた後にパンを買うのだった。

 トーマス
「昨日の売れ残りの固くなったパンをください」

 固くなったパン、いわゆる安いパンだ。

 貧民がよく食べるが、トーマスは腹が膨れれば何でもよいと思い安いパンを頼んだが、

 店主
「申し訳ないが、さっきシスターさんたちが安いパンは買い占めていってしまいまして。今朝焼き立てのパンならあるのですが」

 トーマス
「じゃあ、焼き立てのパンを頂きたいです」

 店主
「では、お代を頂けますか?」

 トーマス
「どうぞ」

 トーマスは渋々通常の値段のパンを購入して、それを食べ歩いて王立相談所に向かうのだった。


 トーマス
「マスター、今日の仕事は?」

 マスター
「ない。ないから、窓口で市民の相談に乗ってろ」

 トーマス
「それなら人出は十分足りているでしょう。10ある窓口のうち15人くらいが担当していると聞いていますよ?」

 マスター
「だったら、なおのこと仕事はない。どうする、一つ大変な仕事を片付けたんだ。今から休暇でもどうだ?」

 トーマス
「そうですか、そうしていただけるとありがたいですね。仕事は楽しいですが、仕事だけする暮らしなんてまっぴらごめんですよ」

 マスター
「じゃあ、今日は休みだ。後の時間は自由にしろ。俺はお前さんが調査した内容を王城の担当者に報告してくる。じゃあな」

 そんなわけで、今日のトーマスは休みになった。

 仕事をほったらかしにして、トーマスは王立相談所から出る。

 王立相談所は王城を取り囲む城壁の一番外側に立っているのだが、その一角には馬舎もあった。

 トーマスはそこで馬を借りると、王城の正門から伸びている一本道を馬で移動するのだった。

 この国を王城のてっぺんから眺めると、まっすぐに伸びた道の一番先に教会がある。

 トーマスが暮らしているこの国は王と教会の2つの組織が統治しているのだ。

 それぞれ王は国の発展を、教会は国の福祉を担当している。

 故に貧しい人が誰かから何かを奪ってまで暮らしていくということはなく、人々は安心して暮らしていくことができる。

 が、トーマスが馬で歩いている大通りは貴族の邸宅でいっぱいだった。

 豪華絢爛な建物が立ち並び、それぞれ自己を主張しながら立派な門を構えている。

 王城に近ければ近いほど資産を多数保有している貴族になり、離れていけば離れていくほど没落寸前ということになる。

 ちなみにトーマスの家は、ちょうど今歩いている道から王城を向いた方角にある。

 いかにも貧民が住まう場所だ。

 まあ、仕事先の王城から近いので便利なので気に入ってはいるが。

 それはさておき、トーマスは今歩いている道を垂直に遮る川に差し掛かった。

 そこには巨大な橋が架かっており、問題なく通行できるが、ここを通れば、王城側についている貴族はいなくなり、逆に教会側を重視している貴族たちの邸宅が立ち並び始める。

 この辺りは辺境に農地を持っている貴族が多数で、商人が今年の穀物を仕入れようと貴族に交渉している光景を目にした。

 そして、何より農村を司る貴族なのか、豪華絢爛な装飾品は見当たらない
百姓が功績を認められて貴族に成り上がる場合もあるし、質素倹約に努める貴族も多いのだろう。

 そして、そのさらに奥、道の反対側に教会はあった。

 トーマスは教会の馬舎に馬を預けると、教会の複合施設の中に入ってゆくのだった。

 トーマス
「こんにちは、シスター。トーマスです。オリヴィアはどちらにいらっしゃいますか?」

 トーマスは柔らかい口調でシスターに挨拶をして、ある友人のもとを訪ねてきたことを明かした。

 シスター
「はい、オリヴィアは病棟で患者の世話をしています。病棟の位置はおわかりでしょうか?」

 トーマス
「ええ、教会には何度か訪れているので。ありがとうございます」

 トーマスは病棟に向かった。

 教会は中央に広場が存在しており、どうやら王様と言うトップは存在しないという思想体系の様だった。

 それぞれの担当が議会を設置しており、それらの取り決めにより運営が行われている。

 まあ、権力で言えば王様の方が強いので王に逆らうことはないが、人徳による統治が行われている限り、それが問題になる事はない。

 そして、病棟に入る渡り廊下である人物と遭遇した。

 魔女
「あら、トーマスさん」

 トーマス
「あ、これはこれは、魔女さんじゃないですか。あれから仕事の方はどうですか?」

 魔女
「今日は病棟に呼ばれて人を一人不死にしてきたところです。大切な人を失いたくない人は世の中大勢いるものですからね。勿論きちんとお代は頂きましたが」

 トーマス
「商売が繁盛しているようで何よりです。まあ、心の底から益々の発展をお祈り申し上げておこうかな?」

 魔女
「なんだか、かしこまっていらっしゃいますね。これから何かご用事ですか?」

 トーマス
「実は、教会に勤めているシスターの一人に、恋人がいるんです」

 魔女
「あらあら、まあまあ。では邪魔してはいけませんね。私はこれで失礼させていただきますわ」

 トーマス
「恐縮です」

 魔女は急いでこの場を去ったのだった。

 トーマスは魔女と言えども人の子なおかつ女性なのだな、と思ったのだった。

 トーマスはそのまま歩みを進めたが、病棟に入ってゆくと異様な光景を目にしたのだった。

 魔女の治療を受けた不死者が、何十人も廊下でたむろしていたのだった。

 特にコミュニケーションをとるわけでもなく、ただ座っている。

 そこへトーマスが通りかかると、物乞いの仕草をまねしたのか、トーマスに何か貰えるものはないかどうかの仕草をしてくるのだった。

 とはいえ、トーマスはプロの王立相談所の人間、こういう乞食相手には何も考えずお金をあげるのではなく精密に内面を調べて、持っている仕事の技術を理解して、働き口を見つけてやる方が適切だと理解している。

 だから、不死者たちは適当にあしらうことにした。

 というか、数が多すぎて相手にしていられないという本音もある。

 姿形は人間だが、どこか人間と違うという感覚が拭い去り切れず、なぜだか不死者がとても不気味に思えたりしたものだった。

 が、なぜ不気味なのかは思うように言語化できない。

 幽霊や亡霊の話を聞いた時はそれは恐ろしい話のようにも思えたが、それとは違う不気味さだ。

 いろいろあるが、トーマスは不死者たちに囲まれてしまった。

 別に危害を加えてくるわけでもないが、こういう人の形をした相手を押しのけてまで移動するのは気が引ける。

 と、そこへ助け舟を出す人が現れるのだった。

 オリヴィア
「あら、トーマス。今日教会を訪れると手紙には書いてありませんでしたが、サプライズですか?」

 病室へと通じる扉から一人のシスターが現れた。

 トーマス
「オリヴィア、久しぶりだね。教会は忙しそうだね。こうして病気の人も増えているし、何か手伝おうか?」

 オリヴィア
「あらあら、この人たちは病気ではありませんよ。ただ働けなくなってしまった人たち。でも、たまにお見舞いに来てくれる人がたくさんいますから、彼らはとても幸せな人たちです」

 トーマスはオリヴィアがそういうならそうなのだろうと考えた。

 人の幸せだとか安心だとかの領域に関してはオリヴィアのほうが詳しい。

 トーマスは自分を安心させるためにせいぜいラム酒を飲むのが精いっぱいだが、オリヴィアはただの会話で誰かを安心させることができる。

 トーマス
「それで、何かしてほしいことはあるかい?」

 オリヴィア
「そうですね、もうすぐ午前の仕事が終わるので、2階の休憩室で待っていてください。直にお伺いします」

 トーマス
「わかったよ」

 トーマスは教会の階段を上がり2階に向かった。

 2階には不死者がおらず、別に不気味な感じはないが、あの不気味な生き物たちを相手にしていてもオリヴィアは平然としていた。

 やはり、慈悲深い人物は肝が据わるのだろう。

 トーマスは貴族たるもの動じるなと言われて育ったが、それは凶悪な相手に対してであり、危害は加えてこないが見ている限り不気味な相手達に対してではない。

 やはり、トーマスとオリヴィアの得意分野は違うのだな、と実感した。

 王立相談所が存在している理由と、教会が同時に存在している理由はやはりあるのだろう。

 すると、一人のシスターがトーマスの前を訪れるのだった。

 シスター
「こんにちは、トーマスさん。王立相談所の職員だそうで、今はそこまで立ち寄る時間がないのですが、少し相談に乗っていただけますか?」

 トーマス
「今日はお休みなのですが、困っているのでしたら喜んで相談に乗りましょう」

 シスター
「そうですか。実は私の旦那様が事業に失敗しまして、新しいラム酒を作る事業を始めたのですが、誓って私は口にしていませんが、何はともあれ仕事を始めるにあたって多額の借金をしたと聞いています。旦那様は平気でしょうか?」

 トーマスは身に覚えがある話だな、と思った。

 何しろトーマスはラム酒が大好きだ。

 だから、そのラム酒の新作も当日並んで購入したものだが、それはさておき借金は平気か、ということか。

 トーマス
「それでしたらご心配なく。旦那様は借金をしたのではなく株を作っただけにすぎません。つまり、借金でお金を得たのではなくラム酒が好きな酒飲みから資金を募ったのです。それなので、借金と違ってお店が倒産した場合、別に借金の取り立てに合うわけではありません」

 が、トーマスとしてはまずまずの腕をもってラム酒を作っていたので、また挑戦するなら少ない現金からまた出資してやろうかな、程度の事は思っていた。

 が、相手はお酒をあまり飲まない人らしい。

 この話はやめておくか。

 何はともあれ、一安心だと感じたシスターはトーマスにお礼を言うとその場を去ったのだった。

 トーマスは休みだが、相談事のある人は休まず悩み続けている。

 だから、トーマスは困っている人にはなるべく寄り添うことにしている。

 窓の外を眺めた。

 教会は木々に覆われており、赤レンガで固められた王城とは真逆だ、と思ったりもした。

 王城はひたすら赤レンガの風景が続いて、王の広間ですら赤い絨毯に玉座が置かれているだけなのだが、教会は葉の緑に白い建物、池や小規模な川が点在していたりで実に綺麗だ。

 とても腕のいい庭師、あるいは庭園を管理しているシスターがいるのだろう。

 薄汚れたコートに身を包んだトーマスはここにいるのが場違いなのではないかと思ったが、思っただけではなく実際そうだあ、と思って自分を納得させた。

 とはいえ、幼い頃訪れた美術館に飾られていたどんな絵画よりも、この教会の2階から眺めた光景のほうがより鮮明に、光り輝いていて、美しく感じることができた。

 見ている光景、水面の浮き沈み、川の流れ、光の照り返しなど、トーマスが見ている光景は刻一刻と変わっているのに、それを一枚の絵に起こす絵描きは大変だろうな、と思った。

 それよりは、硬くて動かない赤レンガのほうが信頼できると思うような気がしないでもないが、これは、近衛騎兵の考え方だな、とトーマスは考え、窓の外を眺めるのをやめて、客室の扉に目をやるのだった。

 そこにはオリヴィアがいた。

 オリヴィア
「こんにちはトーマス。ご機嫌いかが?」

 トーマス
「機嫌がいいように見えるかい?」

 オリヴィア
「そうですね、少し疲れていませんか? 顔色が悪いですよ」

 トーマス
「そっか」

 ここ数日忙しかったからだろうか。

 トーマスは若いが、体力が無限にあるかと言われるとそうでもない。

 馬車で移動するのではなく徒歩で移動するならなおさらだ。

 今日は馬できたが、オリヴィアには疲れていることを悟られたか。

 トーマス
「少し、横になってもいいかな?」

 オリヴィア
「はい、こちらへどうぞ」

 そう言ってオリヴィアはトーマスが座っているソファーの隣に座り、トーマスはその膝の上に頭を預けるのだった。

 いわゆる膝枕というやつだ。

 こういう事をするということは、トーマスとオリヴィアは恋人同士なのだ。

 最近会えなかったので、たまたまできた休日にようやく会えたのだ。

 こうしていれば、仕事での疲れは癒せるだろう。

 オリヴィア
「眠いですか?」

 トーマス
「そうだね、眠い」

 オリヴィア
「では、このまま眠ってしまいましょうか」

 トーマスは目を閉じた。

 目には見えないが、オリヴィアの呼吸が耳には聞こえた。

 その呼吸が一定のリズムを刻むので、とても安心できた。

 オリヴィア
「目を閉じているトーマスは、とても愛らしいですね」

 オリヴィアはそんな事を言うが、既に意識が半分なくなっているトーマスは返事をしなかった。

 それから完全に眠りに落ちるまでそれほど時間はかからなかった。


 トーマスが目を覚ますと、既に日が落ちていた。

 オリヴィアは忙しかったのかトーマスの所から去っており、2階のソファーに一人取り残されていたのだった。

 それにしても、昼から夜まで眠ってしまうとは、よほど疲れていたのだろう。

 トーマスは伸びをすると、オリヴィアがどこにもいないことを知って、少しがっかりするが、これからどうしようか考えるのだった。

 大人だから、忙しい相手を束縛するのは気が引けた。

 窓の外からは月が見える。

 ということは、既に深夜なのだ。

 教会の宿舎に戻って眠っているころだろう。

 どうせ明日になればまた仕事になる。

 今日はゆっくり休めた、これからゆっくりとした歩調で路地を歩きつつ、夜の街を見て回って、王立相談所に戻ることにしよう。

 トーマスはそう思って、静かに1階へ降りた。

 そこへ、誰かのうめき声が聞こえた。

 不死者が起きてしまったのだろうかと思いその場はやり過ごそうとしたが、次第にうめき声が大きくなっていったのを聞いてただ事ではないなと思いトーマスは病室の扉に手をかけたのだった。

 不思議なことに、病室の扉は半開きになっていて、中の様子を見ることができた。

 そこでは、人影が不死者を切りつけている様子が見て取れたのだった。

 トーマスは息をひそめた。

 いくらトーマスと言えども刃物を持っている相手に素手で敵うはずがない。

 なるべく犯行に及んでいる相手の様子を伺おうとするが、それが精いっぱいである。

 しばらくして病室の不死者のうめき声が止まった。

 トーマスは不死者の殺害が済んだのだろうと考え、これ以上犯人がこの場に留まる理由はないだろうから、恐らくは病室から出るだろう。

 音も立てずにトーマスはその場を去り、夜の教会の物陰に身を隠した。

 そして、静かな足音を立てて不死者を殺害したであろう人物がトーマスの近くを通り過ぎると、トーマスはその人影の追跡を開始した。

 可能であるなら、王城の近衛騎兵を呼びたいが、間に合わないだろう。

 教会にも最低限の警備はあるのだが、こうやって中に入ってきているのを見るとどうやら警備は機能しなかったようだ。

 相手は殺人をした人間だ。

 見つかったら何をされるかわからない。

 尾行も見失わない限界で行っている。

 犯人はシスターたちが眠る宿舎へと向かっていった。

 次にシスターを殺害するのではないかと考えたトーマスはどうにかして足止めをしようとしたが、具体的な作戦は思いつかない。

 が、ここで意外なことが分かった。

 シスターの宿舎は夜になると防犯のために鍵を閉めるのだが、その人物は普通に鍵を取り出して開けて中に入ったのだ。

 そして内側から鍵を閉めた。

 鍵を持っていないトーマスはこれ以上追跡することができず、その場で立ち往生した。

 とはいえ、明日から忙しくなるだろう。

 教会は不死者を殺した人を探し出さなければならない。

 トーマスは事態を教会の正門を防御する兵士に伝えた。

 すると兵士はまず殺害された現場を調べた。

 その後、トーマスの証言で教会の宿舎に犯人が消えたことを伝えたが、一応現段階ではこの事件の報告をしたトーマスも容疑者の一人だ。

 その日は、教会の一室に閉じ込められて夜を明かした。


 太陽が昇ると、一人のシスターがトーマスの元を尋ねてきた。

 どうやら尋問役のようだ。

 とはいえ、物腰は柔らかく、まだ疑いをかけている状態であると言える。

 シスター
「少し、太陽の下に出てきてくれませんか? ここでは暗くてよく見えないので。病室に返り血が飛び散っていました。したがって、あなたが犯人であるならば、あなたも返り血を浴びているはずです」

 トーマス
「では、同行しましょうか」

 トーマスはシスターに連れられて、庭に出た。

 そこで朝日を浴びながら服を細かくチェックされたが、返り血は見当たらず、どうやら無罪が証明されたようだった。

 シスター
「失礼しました、王立相談所のトーマスさん。非礼をお詫びします」

 トーマス
「いえ、困った時はお互い様です」

 シスター
「報告頂いた不死者ですが、残念なことに旅立たれました。早めに魔女を呼んで蘇生をする予定です」

 トーマス
「簡単に蘇ってしまいますね」

 シスター
「それで、何か不満でも? 不死者の蘇生はご家族がお望みです。誰かが殺人罪を犯したことになりますが、実害はありません。魔女への費用もご家族様が負担頂けるようです。何も心配はありません」

 トーマス
「そうですか。犯人の調査は引き続き行いますか?」

 シスター
「それは、申し訳ございませんがお答えできません」

 トーマス
「そうですか」

 恐らくは、事態を隠蔽しようとしているな、とトーマスは思った。

 記者が駆けつけていないことを考えると、この事件は有耶無耶にされて終わるようだ。

 教会内部で殺人が起きたと知れ渡れば、教会の信用問題に発展する。

 それを公にして国内に不安を起こすより、不死者として蘇生できるなら実害なしで問題は大きくならない。

 トーマスは死者が蘇るという現実をまだ受け入れ切ったわけではないが、何か嫌な予感がしたのだった。

 トーマス
「すみませんが、緊急なので親しい人に合わせてもらえませんか? オリヴィアという人なのですが」

 シスター
「オリヴィアですね。今の時間は朝の礼拝に参加していると思われます。今仕事をしているのは審問を担当している私ぐらいなものなので」

 トーマス
「わかりました」

 トーマスは教会の礼拝堂に向かった。

 歩いている最中、昨晩の悪夢が嘘のように教会の植物たちがトーマスの目の前に広がった。

 実に美しいな、とトーマスは思うことにしたが、それだけで昨晩の出来事を忘れることはできなかった。

 ここで、トーマスは歩みの向きを変えて、教会の墓地に向かって歩き始めた。

 その空間は本当に自然豊かだった。

 ここに教会で功績をあげた歴代の神父たちが眠っているのだが、彼らに魔女の薬を与えれば蘇るのかどうか、トーマスは知りたかった。

 そして、蘇らせた神父に今迷っていることを相談したっかった。

 が、今迷っていることを相談するための手段が魔女の薬だ。

 矛盾の先にしかない答えを手に入れることは色々と問題がある。

 そして、墓地は変わらず自然豊かで、ここは哀しみの空間ではなく喜びの園として訪れる人をもてなしているのだろう、とトーマスは考えた。

 花が、本当に綺麗だった。

 が、よく見てみると枯れていく花があった。

 トーマスは、人間も本来こうあるべきだよな、と一人思ったのだった。

 思ったところで、世間が変わるわけではないが。

 さて、墓地で花が枯れているのを見ると、トーマスは礼拝堂に向かおうとするのだったが、振り返るとオリヴィアがそこに立っていた。

 オリヴィア
「こんなところで何をされているんですか?」

 トーマス
「な、何でもないよ。ただ単に佇んでいただけさ」

 オリヴィア
「墓地で、、、ですか?」

 語り口から、オリヴィアには全て見透かされているな、とトーマスは理解した。

 トーマス
「見てくれ、花が咲いている」

 オリヴィア
「美しいですね」

 トーマス
「見てくれ、花が枯れている」

 オリヴィア
「美しいですね」

 トーマス
「枯れていく花が美しいのかい?」

 オリヴィア
「ええ、とても美しいです。目には見えない美しさですが」

 トーマス
「目には見えない美しさか。確かにその通りだな」

 オリヴィア
「それで、なぜこんな所へ?」

 トーマス
「今朝の惨事を聞いたかな?」

 オリヴィア
「何の事でしょう?」

 どうやらまだオリヴィアには情報がいっていないらしい。

 トーマス
「知らないなら、知らなくていい。担当してる審問役に秘密にしてくれと言われた」

 オリヴィア
「では、聞かないでおきましょう。それで、どうして墓地で佇んでいるのですか?」

 トーマス
「見てくれ、花が咲いている。これが生きている人間だ」

 オリヴィア
「ええ」

 トーマス
「見てくれ、これが枯れている花だ。これが死んだ人間だ」

 オリヴィア
「ええ」

 トーマス
「不死者は、どっちなんだろうな?」

 オリヴィア
「私にはわかりません。ですが、目の前に現れているなら、それがどんな相手でも救ってあげるのが私の務めだと思っています」

 トーマス
「そうか」

 ここでオリヴィアがトーマスの顔色を窺った。

 オリヴィア
「少し、辛そうですね」

 トーマス
「労働者なものでね。辛いのは毎日の事さ」

 オリヴィア
「それだけではないようですが」

 トーマス
「わかるのかい? 君には全てを見透かされてしまうな」

 オリヴィア
「ふふふ、トーマスが素直なだけですよ」

 トーマス
「そうか」

 オリヴィア
「何を悩んでいるのですか?」

 トーマスもな、シスターと交際できるくらいの精神の持ち主だ。

 まあ、中にはやんちゃなシスターがいるのも事実だが、オリヴィアはそれに当てはまらない。

 本当に聖なる人なのではないかと考えることもあるほどの相手だが、それに釣り合うだけの相手なのだ、トーマスは。

 トーマス
「人は、花が枯れるのと同じように、いつか死ぬ。それを捻じ曲げてしまうのが果たして正しいのか、俺にはわからない」

 オリヴィア
「そうですか。トーマスは、生きていることが幸せに満ちていますか?」

 トーマス
「幸せに満ちているかと言うと、たまに辛いことがある。満ちてはいないかな?」

 オリヴィアはあくまでもトーマスに優しく語り掛けるのだった。

 オリヴィア
「むかしの、今よりも貧しい時代、人々は救いを死後に求めました。それが天国というものです。今となっては天国は存在しないと信じている人は増えましたが、かつては、死は人を救う唯一の手段だったのです。しかしながら、今は豊かな時代になりました。生きていることで幸せな人は増え、生き続けたいと願うことは不自然なことではなくなりました。だから、人が生きることは素晴らしいことなのではないでしょうか?」

 トーマス
「そうだね、そうとも考えられる」


 オリヴィアと話を終えた後トーマスは、昨日馬舎に預けた馬にもう一度またがり、トーマスは王城に向かった。

 そうすると、昨日の百姓から成り上がった貴族たちの邸宅で商人と貴族が話し合いをしていた。

 商人
「穀物の値段が高すぎます。実は地方で飢餓が起きていたりするんじゃないですか? でしたら、こちらも融通しますが、いかがでしょうか? ほかでもない人命のためですから」

 貴族
「いえ、飢餓など起きていません。今年も通常通りの収穫を終えたと報告を受けています。それなので、穀物の量は変わらないのですよ」

 商人
「ではなぜ値段が上がっているのでしょうか?」

 貴族
「さあ、国内にたくさん食べる人が増えたとしか言えませんね。原因はわかりません」

 商人
「とはいえ、食べ物の値段が上がっていけば庶民が飢えてしまいますな。国王に報告しなくては」

 貴族
「今日は事務作業で忙しいので、国王への謁見をお願いできますか?」

 商人
「もちろんです」

 一連の会話を聞いていたトーマスは、報告が国王の所へいくだろうなと考え、安心した。

 報告が行われるなら大きな問題はならないだろう。

 とはいえ、穀物の値段の上昇か。

 これからあの商人は高くなった値札で小麦を売るんだろうが、それはパンの値段に直結する。

 となればパンを食べるトーマスは高い値段でパンを買うことになるので、悩ましい話だ。

 とはいえ、トーマスもそれほど貧しいわけではない。

 しばらくは大丈夫だろう。


 その日の夜、トーマスは仕事を終えて王立相談所のマスターと酒場の入り口で迷っていた。

 何を迷っていたかと言うと、パブに入るべきかサルーンに入るべきか悩んでいたのだ。

 マスター
「なあ、サルーンに入ると酒は高いが、払えるか?」

 トーマス
「一応は」

 マスター
「やめとけやめとけ、お前は色々と見栄を張りすぎだ。これからお前と仕事の話をするが、パブに入ろう」

 トーマス
「しかしながら、パブでは遊びの話をする場だと聞いています。自分は没落したとはいえ貴族ですから、サルーンに入るべきかと」

 マスター
「同じ酒だぞ? 値段が違うだけで。俺が奢ってやるから、仕事の話をするのにふさわしいサルーンに入ろうじゃないか」

 トーマス
「それは助かります、ではお言葉に甘えて」

 トーマスとマスターは酒場の2つある扉のうち片方の扉から入るのだった。

 中は中央にカウンターがあり、それぞれ2つの空間に室内を分断していた。

 どちらの扉から入っても出されるお酒は同じだが、何を話したいかによって部屋を使い分けるのがこの国の常識だったりする。

 トーマスが入ったサルーンでは政治の話をするのが主な利用用途で、こちらは料金が高い。

 しかし反対側のパブは低俗で下品な遊びの会話をする用途で使われて、こちらは酒の値段が安い。

 どちらがより優れているのか、という話をしているわけではないが、酒の値段は違うのだ。

 マスターは店員にビールを注文した。

 店員
「はい、すぐにご用意します。ところでそちらの方は、見たところ没落貴族様のようですが?」

 トーマス
「よくわかりましたね。財産も権力も失ったもので、毎日汗を流して働いております」

 店員
「ご苦労様です。そういうことでしたら、お酒の代金はパブのものにさせていただきます」

 トーマス
「いえ、しかし」

 パブの客
「おい、そこの没落貴族の旦那。あんたが没落しちまったのも王様が変な政治をしたからだろ? あんたは悪くないって、安くしちゃいなよ」

 サルーンの客
「君は悪くない。それに国民のために働いてくれているそうじゃないか。そんな人が没落したからなんて理由で謙虚になる必要はない。これは君の権利だ」

 トーマス
「みんなありがとう。それじゃあ、安いビールを貰おうかな?」

 店員
「かしこまりました」

 トーマスとマスターは席につき、話を始めた。

 トーマス
「それで、話とは何でしょう? 給料アップですか?」

 マスター
「違うんだな。最近の仕事の様子を聞きたい。事務所で話すと色々と面倒そうなのはわかる。お互い労働者だからな」

 トーマス
「そうですね、で、世間話はしますか?」

 マスター
「何か話はあるか?」

 トーマス
「今朝、不死者が殺害されましたが、魔女に料金を払えば蘇生してもらえるとの事で、犯人を捜そうということにすらなりませんでした。おかしくないですか?」

 マスター
「確かに、おかしい。人を殺したら普通監獄行きだが、死んでも蘇っちまうんじゃあな。そのうち人を殺したら、刑罰が相手を蘇らせる料金を払えになるだろう」

 トーマス
「そんなものですかね」

 マスター
「少し昔に出た本だが、ノブム・オルガヌムという本がある。これは新しい時代新しい知恵を模索していこうぜっていう本なんだが、その本が提唱した考え方によって俺たちの暮らしが成立してる。人が死んでも蘇るなら、殺しは悪じゃなくなる。これは理にかなってると思うだろ?」

 トーマス
「確かに、そうですが」

 マスター
「まあ、お前の恋人はシスターだしな。保守的な考え方をするのはわかるよ。そういう人間じゃないと王立相談所の仕事は任せられない」

 トーマス
「確かに、その通りですね」

 マスター
「まあ、鍛冶屋に戦争させるなら剣ではなく鍛冶場を与えろってやつだ」

 トーマス
「そうですね、その通りだと思います」

 ここでトーマスは酒を呑む。

 マスター
「うまいか?」

 トーマス
「酒はうまいからじゃなくて、天使の声と悪魔の声、両方の話を聞かないために飲んでるって感じ。別にうまくない、薬みたいなもんです」

 マスター
「それもそうだな。酒は心の薬であり石炭だ。今日はじゃぶじゃぶ飲め」

 トーマス
「そうします」


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