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怒りってなんだろう?

QUANTUM GIFT

Therapist OCOさんと、月曜日の朝、6時20分くらいから対話をします。大きなテーマは「感覚をひらく」ということ。 アーカイブを残さずにやってきましたが、9月27日以降アーカイブを残しています。ただしアーカイブが残るのは4週間程度。4週を経過すると順次消えて行きます。声と文字とではエネルギーの質が異なるでしょうから、アーカイブと同時に僕はレポートを書くことにしています。

1.11.2021

ラジオといえば、コミュニティFMだって放送スタートの30分前には準備していそうなものですが、僕たちはいつもギリギリ。直前に接続をしていますから打ち合わせはほぼゼロでやっています。そんなこともあって話はいつもあらぬ方向に。

いつも思うのですがOCOさんって言葉が丁寧。常に周囲を敬う姿勢で過ごしているかのようで、言葉に限らず態度も丁寧です。朝のボーッとした頭のままに「この人でも怒ることはあるのだろうか?」と疑問を抱き、そのままに質問してみました。くだらないこの質問の答えはさておき、興味深いお話につながっていきます。

怒りの正体

怒りとは、自分と相手との境界が曖昧な状態と言えるそうです。怒りは複雑な感情ですから、一概に言えるものではないとは思いますが、対象がないのに怒るということは確かに難しい。

セラピストとしてのOCOさんは前提として、相手に対して「誰かのためではなく、自分のための選択」をしてもらいたいと考えており、いつもその後押しをするよう心がけていると言います。

誰かが、誰かを想うとき「あなたのために」という選択をした場合に、この二者の境界は曖昧になっていくといいます。境界の曖昧な状態の人と、そうではないもう一人という状態。これでは相手が自分の意に反する行動をすると今度は「あなたのためにやっているのに」という小さな疑念が生まれて、怒りという感情に火がつくのかもしれません。

肝臓

伝統医学では、怒りは肝臓が司るものとされているそうです。機能的にみると肝臓という臓器は500くらいの多数の役割があり、その主だったものが解毒、代謝だそうです。怒りという感情と肝臓を関連してみれば、そりゃあ複雑だわなと妙に納得します。

怒りが複雑だと書いたのはもう一つ理由があって、この根底にあるものが愛であるという側面もあるからです。だれも決して相手を傷つけたいとは思っていない。愛ゆえに決断が鈍るところですが、愛ゆえに自分の意思を伝えるべきだとOCOさんは言います。

何かに怒りを覚える自分を感じたときには、その状態をつぶさに観察し、アグレッシブな状態の自分を認識する必要があります。そんなときに自分と他者を同一視しがちですが、境界線を認識してあげることが大切なのでしょうね。

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