Voyeger (1250文字)

 
 マンションの外へ一歩出た瞬間から、向かいのビルからの反射光が眩しくて、目が慣れるまでに時間がかかった。うんと遠くから飛んできた可視の光線と不可視の光線が、五月の雲のない空に油断して大気の層に衝突する。ばらばらに散乱して、熱を連れて青く降りそそぐ。ちなみにまだこの時期の太陽は本気を隠している。


 耳に入れただけのイヤホンから、乾いた風の摩擦音を聞いていた。排気ガスの気配に、街路樹の光合成の匂いが混ざり始めたのを感じた。直径3cm ほどの目の中に飛び込んでくる路面の明るさで、空には雲一つないだろうと見上げなくても思った。もちろん星一つも見えるはずなかった。遥か遠くの何処かで百億年生きた星が死んだ、その超新星の最後の光が届いていてもわからないだろうと思った。百億年の年月が、誰にも感知されない。きっと、そういうこともある。けれどそれは、元々なかったことと、どう違うのかな。知られずに通り過ぎていくのなら、明日死ぬのも、百億年後に死ぬのも、同じかもしれない。


 昼間の通りが、日ごと時間ごとに輝度を増していく。もうしばらく、重い服を着なくてもいい。また季節が巡るのを感じる。同じ季節が同じ記憶を呼び起こす。その替わりに凍えていた日々の感触をまた忘れる。そんなことを何度も繰り返して、生きていく。何度も呼び起こされ続けて癒えない傷を、自分だけのものでしかない痛みを、今日も捨てられずに生きていく。触るから治らないのだということもわかっていて触れ続けてしまう。忘れたら自分じゃなくなってしまうような、そんな錯覚のなかで、それなりに、人を傷つけてきた過去への言い訳を、自分に優しくする方法を、誰かに分け与えることができる代償を、何となく探している。何となく、普通に笑って、生きていく。
 生きていく、その価値があると思える、ただの一瞬きりのために。




 そんな旅の途中で何の因果か僕らも出会った。

 自分の中にあるもの、捨てられずにいる僕だから、あなたの中にあるものを、取り出して捨ててやれる、何故かそんなふうに思う。僕らが光なら、こと座のベガまで行ける以上の時間を、違う場所で違う人生を辿ってきた。それぐらい遥か遠くから出鱈目に放たれた最後の救難信号が、たまたま見上げた小さな眼球の中に入りこむ確率みたいに、僕らは、ほんとうは、出会うはずなんてなかった。



 例えばそんな、

 真っ暗闇を回遊する小惑星群や彗星なんかをうまく避けきって太陽系を抜けた先で、友好的なエイリアンに遭遇する確率だったり、
 あらかじめ自分の心臓か何処かに搭載された「ゴールデンレコード」を、何故かそいつが解読できたりするような奇跡を、

 あなたは信じるかな。


 僕は信じてるよ。

 ガリレオが、たった一人で唱えていた地動説なんかよりは、ずっと根拠が少ないから、普段はあまり口に出さないでいるけど。




 一つの出会いから、必ず訪れるさよならまでの、そのたった一瞬が、それまでの百億年の旅路すべてに意味を与えたりする。

 きっと、そういうこともある、なんて。

 




(終わり)

 

この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,049件

最後まで読んでくれてありがとう。 無職ですが、貯金には回さないと思います😊