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比較しないで生きられたら

比較しないで生きられたら・・・なんどそう思ったかわかりません。自分の人生でも、子育てにおいても。比較しながら我が子を見てしまっていた時間を思い返すと、なんて申し訳ないことをしてしまったのかと悔やんでしまいます。でも、さまざまな事柄に比較材料、比較対象は存在します。うまく付き合いたいものです。

今回は、子育てにおける「比較」パターンを「あるあるな4パターンに分けてみました。自分が教育に関わることで感じてきた「あるある」として、細かく分けたらもっとあると思いますが今回は4パターンを。

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1,「我が子」 と 「他のご家庭の子」
例 「あの子はもう逆上がりができているのに」「あの子はもう掛け算九九が言えるんだって」「どうやったらあの子みたいなしっかりした子になるんだろう」

「となりの芝は青い」とはよくいいますが、「あの子はいいなぁ」なんてのは、気をつけないといつでもどこでも考えちゃいます。で、いつのまにかポジティブな時間よりネガティブな時間が増えてしまう。これは、子育て以外の比較でもありがちです。

他人の子と比較を始めた瞬間から、お子さんを「できるかorできないか」で見るようになってしまうかもしれません。できる=良い、できない=悪い、と見てしまわないか、これは気をつけたい。

自分、そして自分のお子さんをもっと大事にしてあげる、それだけでいいです。比較材料や選択を迫られることはたくさんあるだろうけれど、お子さんによって良い選択をしてほしいと思うからこそ、比較トラップには注意したいのです。

2、我が子の「今」 と 我が子の「昔」
例 「昔はこうだったのに。なんで?」(靴を揃えていた 昔は服を畳んでいたのに 算数で式を書かなくなっちゃったetc)
「昔はできていたことが今はできていないんです。」「昔は素直だったのに、全然言うこと聞かなくなっちゃって困ってます」

今と昔を比較して悪くなっているときによく聞く言葉「反抗期」
この言葉って大人に便利すぎません?「反抗期」って言葉で片付けられることよくありますよね?
「反抗期なのよ、きっと。」って大人は言うけれどさ、確かに反抗期かもしれないけれど、そこにはSOS含まれてるかもしれないとちょっと見方を変えてあげたらお子さんだって楽になるかもしれません。

逆に、「今はいいけど、昔はひどかったのよ。」もよくあります。
本人は思い出話のつもりでも、内容によっては子供は傷ついたりしてませんか?過去のネタとして受け入れられる子と、それを思い出したくない子、色々な子がいます。表情変えずに心が苦笑いしてるかもしれませんよ、気をつけないと。

3、我が子 と 「昔の自分(つまり親)」
例 「私たち(両親)は、理系なのになんで算数ができないんだろう。」「私が子供の時はこんなことなかったのに」「誰に似たんだか」

私はこうじゃなかったのになんでこの子はこうなの? 自分が子供の時はこんなことなかったのに。誰に似たんだ。そんなことよくありますよ。
遺伝もあるだろうけど、別の人間です。その子のありのままを「なんで?」というフィルターで見るなんてもったいない。今を生きる子供たちを見てあげてほしいです。

「親を超える、超えない問題」も、この3、に当てはまりますかね。
正直に言うと、私は自分の親を尊敬しているので親を超えるなんて軽々しく思えないですが、息子を見てると「とっくに親を超えてるなぁ。」と感じる瞬間がよくあります。


4、現実の我が子の「今」 と 想定していた我が子の「今」
例 「あのときこうしていたら今頃は・・・」「だから言ったでしょ、あのときやっておけばよかったじゃない」「本当なら今頃こうしていたはずなのに。どこで間違えたんだろう。 」

悔やんでも過去は返ってこないし変えられないのです。でも、もしかしたらぬり替えるくらいはできるのか?!と考えてみたり。
子どもが親の想定通りのまま素直に大人に、なんてならないと思うのです。他人の家庭を見れば想定どおりに見えたりしますけど、気にしてもしょうがないですし、その家庭自身は想定通りなんて思ってないかもしれない。

あれ?他人の家庭が気になる?! この文章の1、に逆戻りですね。

想定通りにならないからこそ、子育てに楽しみが見出せるんじゃないかなぁと思う今日この頃。とはいえ不安は拭えません。だからこそ、勇気をだして、「比較しない!」って言い聞かせます。

ーーーーーここまで4パターンに分けてみましたが、この「比較」については最終的には、比較したところで「ダレトク?」だと思っています。

言った本人は一時的にすっきりするかもしれませんが、結局誰も得しないんじゃないでしょうか。少なくとも比較した結果、子育てという視点で相手にとってプラスになることは難しくありません?

かといって、世の中の「比較」の必要性を否定するつもりもありません。
世の中に比較がなければ、より良いものもできないだろうし、違いがあるからこそ互いの良さが生まれることもある。
みんな違っていいのだから。 あれ? 違っていいってことは比較対象があるってことなのか?じゃぁ、比較は必要なのか?

無限ループになりそうだし、答えが見つからなそうなのでずるいですが、この辺で止めておきます。

比較しないでお子さん見てみてください。お子さんの良さにもっとたくさん気づけますよ。

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