ジェンダーと言語との関係 言語の「改造」は正当化されうるか?

初出:2018/5/6

 「セクハラ罪っていう罪はない」(注1)。法律に照らせば正確な発言ではあるが、副総理は法律で決められた罪でしか「罪」悪感は感じられないのだろうか。罪の意識は法律で定められた罪を犯した時でしか彼の中で発生しないのか。言葉を一言発するだけで多くの人々を傷つけてしまう副総理はこれまでいたのだろうか(いたかもしれないが)。
 ジェンダーと言語は関係が深い。最近、フランス語を学習し始めたのだが、そこで登場する男性名詞と女性名詞が厄介なのだ。フランス語という言語においては、(私の浅はかな理解によると)発言者が男性か女性によって名詞の形が変化し、その変化形をそれぞれ男性名詞、女性名詞という。例えば、フランス語で「日本人」という単語は、男性が言うとjaponais(ジャポネ)、女性が言うとjaponaise(ジャポネーゼ)、と女性名詞ではeが語尾に加えられていて(もしくは男性名詞ではeが除かれていて)、発音も異なる。フランス語入門者の私は、ここでこう考える。男性とも女性とも自認しない人 non-binary はどうフランス語を用いるのか。フランス語を話す人の中にも、男性でも女性でもないジェンダーを自認する人が相当数いることを予想するのは容易だ。最近では、ジェンダーの「かたち」が多様化し、Facebookのプロフィールでの性別のカテゴリは50以上にのぼることはよく知られている(注2)。要するに、男性でも女性でもない人が「私は日本人です Je suis japonais(e)」を何というのか、という素朴な疑問だ。「日本人」という単語を使う時は、「男性の日本人」か「女性の日本人」かどちらかを選択しなければならないのだ。しかし、私の疑問に対する答えはインターネット上では探した限り出てこなかった。
 そこまで知らないフランス語よりまだ知識のあるが、言語的に性の区別がない日本語や英語とジェンダーとの関係を見てみよう。英語とジェンダーとの関係で最初に思い付くのは、Mr.、 Ms.、Mrs.の使い方だ(フランス語でも同様にMonsieur, Madame, Mademoiselleが存在する)。英語でメールを書くとき、まず書くのは"Dear Mr./Ms. (姓名), " だ。メールを知らない人に送信する時、私がスペリングミスの次に気を遣う部分だ。名前のみ伝えられているときはネットでファーストネームを調べ、男性の名前か女性の名前かを判断する。これをしてトラブルになったことは今までで一度もないが、この性別判断の方法の問題点が二つある。一つは、ユニセックスネームの存在だ。日本でも「しのぶ」や「ちはる」など男女の区別がつかない名前は数多くあるが、英語圏でも同様だ。例えば、アメリカではJessieやMarionは長い間ユニセックスネームらしい(注3)。だから、Jessieさんからメールがきて返信することになったら最悪だ。二つ目の問題点は、この方法が性別二元論を前提としていることだ。Non-binaryの人に対してはMr. も Ms.も使わない。では、なんと書けばいいのか。Mx. は知られているジェンダーニュートラルな敬称だ。そうすると、知らない人にメールを送る場合はその人のgender identity(自身のジェンダーの認識)も分からないので、すべてMx. にするべきである。不自然ではある。一方、日本では性別で区別することは無い。「(姓名)様」で済む話だ。
 では、日本語には上記のようなジェンダーに関する問題はないのか。日本語は言語的にはジェンダーニュートラルだが、日本文化の中ではいまだに性別二元論が跋扈している。「ブス」という言葉は日本の文化から出てきた言葉の一例だ。この言葉は主に女性の容姿に対して用いられ、ネガティブな意味を持っている。一方、男性の容姿に対しては「ブサイク」が主に用いられる。「ブス」の語源は興味深く、毒である「付子(ぶし)」で麻痺した無表情を表す言葉「附子(ぶす)」からきた説が有力であるらしい。だが、社会の中で使われ、女性への悪口としての言葉として定着したのは否めない。まとめては言えないが、英語やフランス語は言語的に(先天的に)性別二元論を前提としているのに対し、日本語は性別二元論や男女差別が文化社会的に(後天的に)加えられたとみることが可能だ。言い換えれば、英語やフランス語については、言語そのものを再構築する必要があるが、日本語は文化的な(ネガティブな)要素を排除すれば、言語のなかの性別二元論は無くすことが出来る。
 冒頭の疑問に答えるべく、一つの概念(?)を紹介する。ここで参考にするのは、gender pronouns(ジェンダー代名詞)というものだ。日本でこれを知っている人は少ないだろうが、英語圏であるアメリカでは理解が進んでいる概念だ。私がgender pronounを知ったのは、アメリカの大学に出願する際だ(注4)。出願の際、gender pronounsの欄があり、自分のそれを記入する必要があった。私は自分のことを男性だと認識している(cis)ので、私のpronounsはhe/his/himだ。なぜこれを表明することが必要かというと、相手と会話するとき、その人のgender identityが分からない状態で会話するため、その人が例えば女性と自認しているにもかかわらず、外見などからその人に対してheやhisを使ってしまうとその人を傷つけてしまう、というようなことにならないようにするためだ。大学関係者とメールで会話していると、メールの最下段にgender pronounsが載っている場合がある。非常に助かっている。Gender pronounsで重要なのは、その多様さである。本来は複数の人間を指す人称代名詞であるthey/their/themはgender identityが男性でも女性でもない人に使われている(この場合、theyは単数扱い)。また、zeという代名詞も用いられているという。そして、gender pronounsはジェンダーのカテゴリによって使い分ける必要はない。
 Gender pronounsを参考にすると、フランス語においても言語を多様化・拡大する試みはなされているのではないのだろうか。しかも、ジェンダー平等においては先進国というイメージ(イメージは危険な場合が多くあるが)がある。しかし、言語の「改造」に関しては反発が根強くある。Annabelle Timsitによると、フランスではフェミニスト団体による新たな教科書の作成が行われ、昨年秋に公開された(注5)。このフェミニスト団体は、男性名詞・女性名詞という枠組みが男女差別を助長していると主張し、教科書ではジェンダーニュートラルな言語が使われている。一方、教育界からは、言語が男女差別という社会的要素に影響を与えているという証拠がないという批判や、「フランス語のpurity(=純度、清純さ)を生死にかかわる危険にさらす」という批判(注6)が相次ぎ、政府は公式文書でジェンダーニュートラルなフランス語を用いる事を禁止したという。このままでは、non-binaryは男性か女性かに(言語上)なりきる必要がある。
 私たちの生活の中にもジェンダーと言語(言葉)との関係が潜んでいる。「彼氏いる?」や「彼女いる?」といった質問は、質問された人を傷つけるかもしれない。なぜなら、それらの質問は相手がヘテロセクシュアルであるという前提でされているからだ。質問された人がホモセクシュアル(同性愛者)かもしれないし、彼氏や彼女などのパートナーを持つことの概念が存在しない人(アセクシュアル)かもしれない(注7)。「言語は思考の可能性を規定する(言語は思考に素地を与える)」と言語学者のエミール・バンヴェニストはかく言った(注8)。「男性」「女性」といった言語でのカテゴリ化は何らかの形で私たちの日々の思考(の可能性)に少なからず影響を与えている。ネイティブで、男性・女性名詞のあるフランス語を話す人と言語的にはジェンダーニュートラルな日本語を話す人とでは、思考の可能性が異なるのかもしれない。もしそうであれば、日本語をネイティブに話す人は男性・女性というカテゴリを超えて考えることが可能なのかもしれない。日本の副総理にもそれを期待したいのだが、「期待損」かな。

―補足― 2018.5.8
日本語の敬称や代名詞を見てみると、日本語とジェンダー平等との親和性の高さがうかがえる。日本語で他人の名前を呼ぶとき、(名前)さんや(名前)君と呼ぶ。子どものみに注目すると、「君」は主に男の子に、「さん」は主に女の子に使われる。一方、ある程度成人すると「君」は使われなくなり(幼稚としてみなされ)、ジェンダー問わず「さん」に統一される。要するに、女の子に使われていた敬称「さん」が格上げされたということととらえることができる(女性優位の言語?)。先述した通り、「さん」や「様」は性別を問わないので、気軽に用いることが可能だ。年上を敬うことが日本に定着している要因の一つであるかもしれない。少なくとも英語には「さん」とジェンダー上同義の言葉は見つからない。だから、大谷翔平はOhtani-sanと呼ばれるのだ。「さん」が英語圏でどれだけユニークな言葉かを反映している。代名詞についても同様の指摘が可能だ。日本語で「彼」や「彼女」という単語を使うことはあまりない。なぜなら、「彼」や「彼女」といった単語は英単語の"He"や"She"の翻訳語であるからだ。だから、日本語では名前を使わず人を指すとき 「彼」や「彼女」は使わず、「この人」や「あの子」(または肩書き)と表現することが一般的だ。古典の授業で習ったように、日本語では主語を省略する場合が多く存在する。他方、英語ではほとんどの文は主語を含む。だからこそ、「彼」や「彼女」といった三人称代名詞は必要性がなかった。日本語はジェンダー・性別という分類から解放されているのだ。その意味で、言語を通してジェンダーという概念を越えたものを探せるのではないか。


注1. 「麻生財務相『セクハラ罪という罪はない、殺人とは違う』」 朝日新聞デジタル、2018/5/4 http://www.asahi.com/articles/ASL547FDDL54ULFA00P.html(アクセス日: 2018/5/6)
注2. 「Facebook、プロフィールの性別を多様化してLGBTQに対応。人称代名詞も選択可能に」 Jordan Crook, TechCrunch, 2014/2/14
http://jp.techcrunch.com/2014/02/14/20140213facebook-gender-identity/ (アクセス日: 2018/5/6)
注3. "The Most Unisex Names in US History" Nathan Yau, Flowing Data, 2013/9/25
http://flowingdata.com/2013/09/25/the-most-unisex-names-in-us-history/(アクセス日: 2018/5/6)
注4. 全ての米国大学で利用されているわけではないと思われるが、リベラルな思想で知られる多くのリベラルアーツ大学では利用されている。
注5. "The Push to Make French Gender-Neutral" Annabelle Timsit, The Atlantic, 2017/11
https://www.theatlantic.com/international/archive/2017/11/inclusive-writing-france-feminism/545048/(アクセス日: 2018/5/6)
注6. "'Gender-neutral' French banned from government papers" Rory Mullholland, The Telegraph, 2017/11/21
https://www.telegraph.co.uk/news/2017/11/21/gender-neutral-french-banned-government-papers/(アクセス日: 2018/5/8)
注7. この問題はsexual orientation(性的指向)に関するものである。先述のgender identityと併せて、SOGI(ソジ)と言われる場合がある。詳細については、「SOGIハラって?」 NHK生活情報ブログ、2017/6/26 http://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/1400/273912.html (アクセス日: 2018/5/6)を参照。
注8. 詳しくは、國分功一郎 「中動態の世界 ―意志と責任の考古学―」、医学書院、2017年、を参照。

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