自分に合った方法が大事(司法試験)

仕事柄、勉強の方法を聞かれることが多いのですが、方法論というのは人それぞれなので

「こうやらないと合格しない」とかそういうものはほとんどないと思っています。


合格者に聞いたって方法論は100人100様。


方法論で私が思うのは、


「自分に合った、できるだけストレスのかからない方法をとって欲しい」


「条文、判例、過去問をやればいい」


「論文を書くときは根拠、理由を示してほしい」


ということだけです。


司法試験の場合、それなりに長い期間勉強することになるし、ストレスになるようなやり方だと続かない。

そんなやり方は何より自分がかわいそうです。

もっと自分を大事にしてほしいし、たまには自分を甘やかしてほしい。


司法試験を受けるような受験エリートはストイックな人が多いから、ある程度苦痛な方法でも耐えられる特殊な人も少なくなくて

中にはそういう方法を他人に勧める人もいるけど、私はたとえ受験勉強の時間だとしても貴重な人生の大事な時間だと思うから楽しみたいと思っていたし

受験生にも楽しんで欲しいと思っています。


知らないことを知るってすごく楽しいことだと思うし、知らないことがあるって嬉しいことだなっていつも思うんです。

特に法律の勉強の場合、自分の実生活にも役立つし他人の役にも立てるんだから、いいことしかないはずなんですよ。

その上、司法試験受験生の場合、将来その知識を使ってお金をもらえるようになるんだから悪いことなんて何一つないですよね。


私は受験とか意識し過ぎると気持ちが暗くなるしつまらなくなるから、あまり意識しないで法律の勉強自体はかなり楽しんでいました。

過去問や再現答案の研究をするときは、単純にゲームとして考えていました。

司法試験とはいえ所詮不完全な人間が作ったものだし、採点だって不完全な人間がするものだから、自然科学みたいなノリで取り組むものでもないと思うんです。


誰かが勧める方法でも自分に合わないなと思えばやらない方がいいし、意味ないなと思う講座やゼミは時間の無駄だから途中で止めてもいいと思うんです。

せっかく買った本でも合わないなと思ったらすぐに止める。


私はたくさん本を買いましたけどまともに読んだのは5冊に1冊もありません。


どんな方法論をとったとしても過去問や出題の趣旨、再現答案をしっかり研究していたら自分なりに何が必要かわかるはずなんです。


自分に合ったやり方でそこに到達すれば良いというだけの話です。

論証パターンも答練も基本書も問題集も、それをやり通すこと自体に意味があるわけではないんですけど、受験生は方法自体が目的化しがちです。


1 条文を大事にする

2 実務家になるための試験だから判例をベースに考える

3 最低限の定義や重要判例の規範は暗記する

4 過去問を出題の趣旨、採点実感、再現答案を含めて研究する


これさえ出来ていたら、少々変な方法論をとっていたとしても合格できる試験です。

それなのに、条文や判例ではなくて、誰かが作った書き方を覚え込むような勉強ばかりしている人があまりにも多い。

せっかく貴重な人生の時間を使っているのに、、と思ってしまいます。


自分で勝手に難しい試験、苦しい試験にしないようにしてくださいね。



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