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肉を脱ぐ/まだ着ていない

※この感想はラストまでのネタバレを含みます
※好意的な感想ではありません
※苦手な方はブラウザバックして下さい

『肉を脱ぐ』を読みました。
レズビアンが主人公の、恋愛がテーマではない文芸作品とのことだったので……。

会社に勤めながら小説を書いている慶子は、担当編集者から「身体描写がイマイチ」と指摘され、なかなか二作目を書き進めることができずにいる新人作家です。
彼女は、身体を持っていること自体に苦痛や違和感を抱えており、人間そのものに興味を持てず、その独特な感覚と偏屈な性格がトラブルを引き起こしてしまいます。

若い社会人女性が、自分の肉体に強い拒絶感を持ちながら、身体と向き合う描写が多いのですが……
その内容が特殊過ぎる所があったりして、ちょっと引っかかってしまった……。



子どもの頃の生理体験

中学生の頃、初潮を迎えた慶子は、「生理が来たことを認めたくなかった」ため、ナプキンの使用を避けます。
ティッシュをテープで下着に固定し、三ヶ月やり過ごしたものの、血のついたティッシュが床に落ちてバレた……と振り返ります。
でもこれ、かなり難易度高くないか?
生理時、確かに、ティッシュで応急処置をすることはあるだろう。
ただ、ナプキンを使っても衣服を汚すことは当然ある。ティッシュなら、言うまでもなく危険性が高い。

夜はどうやって乗り越えたのか……気になる……。
三ヶ月もの間、子どもが、下着も衣服も周りの物も汚さず生理を乗り越えるのは無理ゲーに近いのでは?
膣はデリケートなので、膣炎など婦人科系の問題も起こりうる……
物凄く量が少ない人もいるだろうから、可能かも知れないけれど……
あとテープが肌に当たると物凄く辛そう……


大人になってからの生理体験

慶子は、定期的に生理について思い巡らせているのですが、その内容も、少しバランスが微妙な気がしました……。
下腹部が疼き、もうすぐ生理が来そうだ……と確信しつつ、股の間から何かベタベタしたものが流れ出したのを確認してから「もうすぐ『おりものシート』を付けなきゃ」と思ったりする。
ややタイミング悪くない?
もし経血が漏れてたらどうしよう……って不安じゃない?
あらかじめおりものシートを使っておいた方がいいんじゃないか??
慶子は、面倒だから化粧水や乳液を使うことをやめたくらい身体を拒否したいのに、おりものシートは使うんだ……とも思ってしまった……
顔面の肌が丈夫で、経血が少なく、おりものの量が多い人なのかも……
そして、生理が来る不安やイライラは書かれているのに、生理によって身体に起こる不調などは語られていない
服や下着が汚れるミスに不満を抱いたりせず、PMSや、会社で行うであろう婦人科検診にも特に触れられない。生理痛やPMSは個人差があるし、経験しない人もいるけれど……。


性欲の感じ方

『身体は知性を持たない暴君(46頁)』『定期的に食欲と性欲に襲われてその処理に追われ(140頁)』も、男性なら良く聞けど、女性としては少しレア度の高い性欲の感じ方かなぁ……とは感じました。
各種調査だと、女性の性欲は「身体は知性を持たない暴君」というより思考・脳と不可分で、徐々に盛り上がる場合が多いらしい。これはビアンだろうがヘテロだろうが問わず、ジェンダーバイアスや性的指向より、身体の性差による現象の側面が強いっぽい。個人差はあるとしても。

慶子は『性欲を感じる時は自慰行為で誤魔化せるが、どうしても人肌恋しくなって耐えられない時もある』ため『レズビアン出会い系アプリで相手を募集した』とのこと。
もちろん中には性欲旺盛な女性もいる。が、「人体に忌避感がある」上で「大抵は自慰行為で済む」けれど「性衝動の為に人肌恋しくなる」から「見ず知らずの性行為の相手を探す」女性となると、レアリティはSSレアくらいかと……。
また、ビアンアプリの「イタズラすっぽかし」に遭遇しても、ビアンアプリあるあるの「なりすまし男」「何故か登録してる男」には出会わない……。
こういう↓体験。

また「性欲処理に追われる」以上に、性的視線や被害から逃れる(「ブス」とジャッジされること等も含め)困難もあるが、そちらは何も書かれていない……。
個人差もあるから、そういう人も中にはいるのだと思うけど……。

好きでもない人間に触られたら気持ち悪いだけ。ドラッグとか使えば別なのだろうが、快楽で墜ちるなんてこと、実際にはあるわけがない。
女の子は、少しも気持ちがなかったら、しないし、感じない。

彼なんかより、私のほうがいいでしょ?』(211頁)アサクラネル

レズビアン文学……と言うより、一部の人以外にはオススメできない男性オタク向けエロ百合ラノベからの引用ですが、大変納得できました。この小説、女性キャラの解像度がフルHDレベルでリアリティ高くて面白かった。


日常での加害体験

慶子は一応、肉体を「他者の視線に晒され、評価の対象になる」から忌避してる側面もあることを序盤で打ち明けています。
けれど作中では、ほとんど他者から身体を評価されたり視線に晒されず、過去に加害された経験も出てこない
中学時代に教師から生理について不快なことを言われたり、ビアンアプリですっぽかされた話はあっても、その程度。
慶子は不美人で手足が短いと書かれているが、だからこそ性被害に遭ったりしがち。ビアンだろうがヘテロだろうが何だろうが関係なく、「女だから」嫌がらせを受ける。

性被害以外でも、弱そうな地味女というだけでぶつかり男みたいなのにぶつかられたり、モラハラ男から「ブス」と言われたりしがち。
でもそういう他者というか男社会の介入や被害は一切語られず、事件も起こらない
不自然なくらい女性蔑視のない平和な世界だなぁ……と思ってしまった……。

MTFの友人・優香から「慶子ちゃんの女性である身体が羨ましい」と言われた時も、一応(優香ちゃんが知らない苦痛だってある)と思いつつ、女性として体験した具体的な困難や被害は全く語らない……。

現代社会は男性の身体を基本として作られており、女性の身体だと、工業製品や公共施設の規格に合わない場合がある。

医療も、女性の身体構造が度外視されがち。

時には、自分より小さく細い男性とぶつかり跳ね飛ばされ、体の内部構造の違いを痛感することだってある(なお、生命力や耐病性は女性の方が優れてるらしい)。
そして男性中心社会から「鑑賞物」「動産」として品評され、ランク付けられることも多々ある。
しかし、そういう苛立ちや悔しさを吐露することはおろか、脳裏に浮かべたりもしない
一応「親友の優香を気遣って黙った」とあるものの、それまでのシーンでは、思いやり深い優香を「人間に興味がないから」と大変ぞんざいに扱っている……。
この著者は、重要な女の体の痛みを書いていないのでは? と感じた過去作品がある(芥川賞受賞作もそう思った)ので、そういう作風なのかも知れないけど……。

身体自体に違和があろうが、人は皆、身体に乗っかって社会を生きねばならない。
好む好まざるに関わらず、社会から不可視化され、また加害されがちな女の体を引きずっている慶子の「日常の差別体験」は、一体、どこに行ったのだろう……。


身体違和を持つ友人との対話

優香から「性適合手術のためタイに行く」と打ち明けられた慶子は、今まで冷たかったにも関わらず、いきなり「危険な手術を海外で受けるなんて可哀想!」という理由で優香を抱きしめたくなる。
優香は性同一性障がい(※当時)の診断がくだっているMTFで、その事実は慶子も知っている。
海外で手術を希望するほど強い身体違和で、ずっと違和感のある身体を生きていた」優香にとっては「命がけの手術を受けるより、未手術で生きていくことが最も耐え難い苦痛」である可能性も高いよね?
「ようやっと適合手術を受けられる優香の苦しかった過去に想いを馳せ、抱きしめたくなった」りはしなかったのか……これは個人差あるだろうから、優香本人が語るまでは何とも言えないが……


担当編集者が言いたかったこと

小説二作品目について、担当編集者から「女性の身体性を書いたら?」と提案された慶子は、強く憤りました。
これは「慶子を女性ジェンダー枠にがんじがらめにする」意図かもしれないけれど、実は「デビュー作で身体性が書けてなかったから、背伸びせず、自分の体験を書いた方が良いのでは?」という単純なアドバイスだった可能性もあるんじゃないだろうか……。
編集者の中には意地悪な人もいる。けれど大抵の人は「面白い作品を世に出したい」という情熱を持って働いていると思うので……。
その後、慶子が選んだ「痛感を持たない女性がSMと出会う」という作品テーマも、懐かしいというか、平成初期の香りが……。

あと、デビュー作が特に話題にならなかった新人作家が、編集者に「自作はいつ掲載してくれる?」と食い下がったり、「私を育ててくれないのか」と上目線で言い放つのは度胸あり過ぎて凄いと思った。
「自分に足りない所があった」と自省しないのはアレだけど、こんなにグイグイ食いつく勇気があるなら、様々な分野で活躍できそう……。


肉を脱ぐ前段階で……

この作品を読むと、慶子の「人間の肉体を纏っているのが鬱陶しい」と感じる気持ちがしっかりと伝わってきます。そこは流石です。
しかし、これが「女性主人公が、女の体で生きる日常」かと問われると「?」と思ってしまった……。
身体が邪魔に感じている慶子が、女の体を持つ故に起こる不愉快な目に遭わない(遭っても語らない)ことは、レア中のレアのような気がしてなりません……。

著者が、最近よく見る「性自認による差別は重視するが、身体の性による差別は軽視しがち」な界隈の論者だから、身体性別の表現がイマイチになっている……という訳では決してありません。
性別非公開の山崎ナオコーラ作品『肉体のジェンダーを笑うな』は、身体の性を理不尽に思い苦しみながらも、肉体を持って生きざるを得ない人々の狼狽が巧妙に描かれ、特に引っかかる点もなく、面白く完読できました。
なので、作者の思想は特に関係ないはず。

北野武『キッズリターン』に、大きな困難を経験した少年二人が、次のように語る場面があります。

「俺たち、もう終わりなのかな」
「まだ始まってもいねぇよ」

キッズリターン』北野武

「肉を脱ぎたい」慶子は、実は「まだ肉を着ていない」のでは……と思ってしまった……。

前述の通り、慶子の担当編集者は「性別不明とかじゃなく女の身体性を書こう」と彼女にアドバイスしました。
でも……いち読者の私目線だと、この『肉を脱ぐ』慶子というか主人公は、女性キャラじゃなくて、性別不明な存在とかでも良かったのでは……? と感じてしまった……。
女性という設定じゃなかったら、肉体を持つ憤りなどがノイズなく読めたような気がしてなりません……。慶子の小説も、そういう特徴があったのかも知れないね……。

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