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「積ん読」ならぬ「積ん書き」

確か以前どなたかも書いてらっしゃったのを拝見した記憶があるのですけれど、思いついた「書き物のアイディア」というのは旬があるんですよね。「書き物のアイディア」というのは、ふとした瞬間に頭に浮かんでくる「あ、これについて今度書こう!」という例のアレです。

この、書き物のアイディア。「また今度書こう」と思いながら、色々忙しかったり、順番待ちになったりして、本番で書かれることなくアイディアストックとして寝かされることがしばしばあります。

時事ネタであれば当然のこと、時事ネタというわけででないものでも、あんまり長いこと寝かしっぱなしになると、その当時感じていた熱量が薄れてしまっていて、結局書き始める意欲が出なくなったり、たとえ書き始めても書ききれなくなったり。

単純にそのアイディアの細かいところを忘れてしまってるという要因もあるとは思うのですが、それよりもやっぱり熱が冷めてしまうという方が強い印象があります。

だいたいの場合、寝かしている間に、新たな熱々のアイディアが続々と生じてきてもいるので、そうした新鮮なアイディアの方にチャンスを取られてしまって、一度寝かされたネタはそのまま出場機会を逃すなんてことは珍しくありません。

江草もこうして毎日note更新なんてものをやっていますから、ネタ帳は用意しています。なので、そのネタ帳で日々思いついたネタを加えたり、使ったネタをアーカイブ送りにしたり増減させてるのですが、ぶっちゃけ明らかにネタの増殖力の方が強いんですね。次々アイディアは思いつくものの、ネタとして本番で執筆して消化される速度の方が遅いので溜まる一方なわけです。

一般には毎日更新することの大変さは「ネタが尽きること」だと思われてるような気がしますが、少なくとも江草の場合はネタ自体は増え続けているので「ネタがなくて困る」という意味での大変さはありません。

むしろ、どんどんアイディアは日々積み増していくのに、それを消化できない自身の肉体的頭脳的限界の方が辛いですね。

買ったけど読んでない本がどんどん溜まっていくことは俗に「積ん読」と呼ばれますけれど、それならば、思いついたけど書けてないネタが溜まっていくことは「積ん書き」とも言えましょうか。「積ん読」に落ち着かなさや罪悪感を感じるのと同様に、実は「積ん書き」もまたもどかしさや勿体ない感があって辛いものがあるのです。

先ほど、アイディアには旬があると言いましたけれど、旬があるのが分かってるからこそ、あるアイディアに取り組んだらそのアイディアに関して考えたことを全部書き切らないと気がすまなくなっちゃうのです。その旬のタイミングでとっ捕まえて徹底的に文字化しておかないともう戻ってこない。だから書き切りたくなる。

でも、人間やっぱ日々の生活や疲れもありますから、無限に書けるわけではありません。時間がなかったり、眠かったり、どうしても文字化するスピードや量に制限がかかります。

しかも、書き物をする人は皆ご存知の通り、書けば書くほど新たなアイディアが浮かんできてしまいます。色々書いているうちに「あ、この話も面白いな」とか「こういう観点で繋げてみたらどうだろう」とか思いついてしまって、書きまくってアイディア処理を消化したと思ったら未処理のアイディアがむしろ増えていた。そんなことになるわけです。(読書についても読めば読むほど読みたい本が増えるという似たような連鎖反応があります)

こうした、生身の人間であるがゆえに文字化に有限性があること、アイディア自体が連鎖的に増殖する傾向があることによる、思いついたアイディアを全て文字化することは実際には不可能なんですよね。

江草も時々「もし家事や仕事から一切解放されて執筆に専念できる状況に身を置いたらもっともっといっぱい書けるかなあ」という妄想をすることがありますが、おそらく全く制限がない解放状態に置かれていてもなお書く方が追いつかないでしょう。

だから「積ん書き」は書き物をする人間にとって、ある意味運命付けられていると言えることであって、無理に避けようとするのではなく、この運命自体を受け入れざるを得ないのかもなあと、そういう風に思うようになりました。

とはいえ、理屈で分かっても、気持ちの面では割り切れないのも人のサガ。煩悩、執着、渇愛。どうしてももっともっと書きたくなってしまいます。でも書き切れないのでつらい。

実は今日も山ほどあるネタの中から、今日残された体力と気力と時間で書き切れそうなものとして選ばれたのがまさにこの「積ん書き」ネタなんですね。

このネタ書いててめっちゃ楽しかったのでそれは良かったのですが、今日これを書いたことで、逆に言えば今日書かれなかった他のアイディアたちはまた一日寝かされることになってしまったということになります。残念無念。

みんな「積ん書き」とどう向き合ってるのかなあ。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。