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要領の悪さが引き起こす無意識的マッチポンプ

「要領の良さ」のイメージは人によっても異なるかもしれませんが、江草の場合は「トラブルを未然に避けること」が要領の良さの大きな要素の一つと考えています。

何かの目標を達成しようとする時に、プロセスをシミュレートして、ここはこういうミスをしそうだとか、ここはこういうリスクがあるだとかを事前に察知して、それをできる限り未然に防ぐように動いている感じです。意識的にしてる時もあれば無意識的にしている時も多いでしょう。

そうしたトラブル予防措置というのは一定の手間や時間、および認知リソースを要してしまうわけですが、ひとたびトラブルが起きると、それ以上の手間やリソース消費が起きるので、その手間をかけてトラブルを避ける方が結果的に早くスムーズに物事が進むのですね。

つまり、要領の良い人は一見動きはゆっくりだけれどもトラブルが起きない(起きにくい)のでスムーズに目標を達成するけれど、要領の悪い人は一見動きは早いけれどトラブルが多発してなかなか目標が達成できないというイメージです。

医療の世界では「良い麻酔科医は目立たない麻酔科医」などと言われますが、これは、良い麻酔科医は最初からトラブルを起こさず、あまりにスムーズに手術を支えるがために、存在感がむしろないということなんですね。

医療の例えで分かりにくければパイロットや運転手を考えてみてください。あまりに運転が上手過ぎると乗り物に乗っていることを忘れてしまう。そういうイメージです。


だから要領の良い人はトラブルを招かないことで目立たないのですが、これが皮肉なことに別の側面でのトラブルを招くことがあるんですね。

それは、要領が良過ぎてスムーズに仕事を終えるせいで「仕事してない感じ」に見えることです。

確か、デイヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』でも、著者がバイト中に要領良く早く仕事を終わらせて達成感に浸っていたら「何暇そうにしてやがるんだ、ちゃんと働け」と怒られたエピソードが出ていましたが、まさにこういうことです。

要領良く仕事を終えると、その仕事ぶりが目立たないせいで、むしろサボってるとか、頑張ってないように見えちゃうんですね。

このことは、逆に要領が悪い人のケースを想像するとよく分かります。

要領が悪い人は一見動作は早いので頑張ってるように見えます。危険の予防を怠ってるので当然トラブルが生じますけれど、そのトラブル解消に悪戦苦闘してる姿も何なら「仕事してる感」として周囲の目に映るわけです。

これ、要領が悪い人も悪意があってやってるわけではないんですよね。本人としては本気で頑張って目標に向かってまっすぐやってるけど、トラブルが起きたのでやむなくその解消に奮闘した。「いやあ、大変だったけど頑張って乗り越えた」そういう主観的体験なわけです。

ここで、横で平然とした顔で要領がいい人がサクッと仕事を終えて暇そうにしているとどうなるか。「運良く、、、トラブルが起きず早く終わったからってサボってるなんてずるい」という目線が注がれるわけですね。もっと言えば「あの人(要領が悪い人)はあんなに頑張ってるのに、この人(要領が良い人)は頑張ってないのだから、評価に差をつけるべきだ」となって、要領良くサクッと終わらせた人はむしろ低評価の憂き目にあったりもします。

要領の悪い人は、無用のトラブルを呼び寄せることで仕事を増やし評価を上げるというマッチポンプを無意識に行なってしまっているとも言えます。

だから、本格的に要領の良い人は(このトラブルも予期して予防しようとするので)、要領良く仕事をこなして浮いた時間分でさらに追加で仕事をこなすことで周囲から「あの人は仕事が早くて頑張って成果をたくさん出している」との高評価に繋げるか、「忙しく頑張ってるんですよ」アピール工作を要領良く、、、、行うことで「偽装の多忙」に包まれた自身のフリータイムを守ることを図ることになるわけです。

つまり、「トラブルの予防」という能力は、そのトラブルが現に起きてない以上、周りから評価し得ないのですよね。長年見てれば「この人は明らかにトラブル少ないな」とは周りもわかってきますけれど、単発の時々ではトラブルが起きなかったことがたまたま運が良かったからなのか、本人が予防したからなのかは区別がつかないのです。だから「トラブルを予防した」という事実上不可能な悪魔の証明を図るよりも、「成果をたくさん出す」とか、見かけ上「頑張ってる風」を装うという他の要素を頼るしかなくなるわけです。

このように、「トラブルの予防」すなわち「要領の良さ」というのはそれ単体では実はあんまり評価されないし、何なら妬まれもするという案外不遇な特性なのです。(「予防」がいかに評価されず、むしろ恨まれやすいかは各種ワクチンを巡る批判を見ると分かりやすいでしょう)


これ、もちろん、本格的に要領が悪すぎてあまりにも初歩的なトラブルばかり起こしてたら評価はされません。流石に内容も馬鹿馬鹿しいし、そこまで行くと本当に目標の達成もままならなくなるでしょうから。

ところが、平凡レベルに、、、、、、要領が悪い場合は「そのトラブルが予防できた」とは周りもあまり思わないので、むしろ「不意のトラブルにめげずによく頑張った」という評価に至るラインがあるわけです。

ただ、そこで「そのトラブルほんとは予防できたんじゃ……」と感じるのが生粋の要領良いマンたち。あまりにその危険予防感度が高すぎて「要するに拙速すぎたのでは」と内心感じるものの、「予防」の議論の常としてその客観的証明が難しいですから、(ややこしい人間関係トラブルを避けるべく)結局は口をつぐんで、(彼らからすると)雑に仕事をしてトラブルを招き入れた人間が「よく頑張った」と評価される光景を複雑な表情で見つめるしかありません。


で、何が言いたいかというと、こうした「要領の良さ」が思った以上に目立たないということを知っておかないと、世の中のトラブル予防は進まないのではということです。

静かで目立たない人を低評価にして、トラブル時に獅子奮迅の活躍を見せた人を高評価にしてしまうと、無意識的にトラブルを起こして多忙化し「頑張ってる感」を演出することを奨励してしまってることになります。それでは本来最も理想形であるはずの「最初からトラブルが起きない」という方向性を追求することにつながりません。人材としてもトラブルを起こさない人が登用されないことになりますし、文化としてもトラブル予防が定着しません。

もっとも、書いてるように「予防してるかどうか」を判断するのはとても難しい。しかし、これが「難しいけど大事なんだ」ということを認識してるかどうかだけでもちょっとは変わるんじゃないかと思うのです。



なお、おまけですが、「要領が良い人」だけ一方的に上げてる感じはフェアじゃない気がするので、要領が良いことの問題点(要領が悪いことの良さ)も一応指摘しておきましょう。

要領が良いと、目標達成までトラブルなくスムーズに行くわけですが、何事もスムーズにいけばいいというものではないんですね。

ペニシリンしかり、ミスやトラブルが意外にも新たな大発見につながるというセレンディピティが歴史上には時々起きていることが知られています。だから、トラブルは必ずしも絶対悪ではありません。

良くも悪くも要領が良いと既定の目標まで一直線に進行してしまうので、迷子になったり、寄り道したり、そうしたことで起きる偶発的出会いのチャンスを損ないやすいわけです。

だから、世の中が要領が良い人ばかりだと、未知との遭遇がなくなるつまらない世界になりそうですから、何事もバランスが肝心というものなのでしょう。

本当言うと江草も、時々失敗しちゃうとか、当初の目標を忘れちゃうぐらいのドジな人類であってくれる方が好感を持ちます。やっぱその方が人間らしい気はするんです。

そう言えば、江草のnoteも毎回なんとも要領を得ないフラフラした記事ばかりですね……。

すみません。要領が悪くて。

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