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指図されたくない、指図したくない

昨日の記事ともちょっと似た話になるのですが、今日は平等主義活動におけるトラップについて。

世の中、フラットな関係の組織とか、誰もが平等な社会とか、そういうのを目指したいと言う人は少なからずいます。江草もそういうタイプです。

こうした平等主義に傾倒する理由(きっかけ)として、ありがちなのは「人から偉そうに指図されるのが嫌だ」というものでしょう。

「あれをしろ」「こうしなさい」などと命令や強制をされることは社会に満ち溢れています。その指示内容がこちらからしても納得のいくものであればまだしも、往々にして意味不明な不毛なものであることも多く、そんな時は当然不満が溜まります。細かいことを逐一指図されるマイクロマネジメントなんて受けた日には「こうした指図ばかりされる世の中はいかんな」と多くの人が感じると思います。

目上の者から納得いかない指図をずっと受けてきた結果、それで上下関係に基づく指図という行為そのものを拒否し、フラットな関係性で対話を軸に世の中を回す平等主義を心に抱くようになる。そういう経緯ですね。

これ自体はもちろん、とても自然だし健全な話だとも思うのですが、この経緯にはひとつ落とし穴があると思うんですね。

それは自分の主義について「指図されたくない」の側面しか確認してないことです。

どういうことか。

確かにこういう経緯で平等主義に入る人たちは皆「指図はされたくない」という立場ではあるのでしょう。ところが、それは受け手の側の視点の話でしかありません。つまり、自分が「指図をしたい人間か」「指図をしたくない人間か」という指示側視点の志向は確認してないわけですね。

これがどう問題になるかと言うと、「自分は指図されたくない」という気持ちから平等主義に傾倒したけれど、何かの拍子に指示命令を出せる立場になった時に、「自分が指図すること」は拒否反応や違和感なくスルッと行えてしまう。こういうケースが出てきてしまうのです。

(そういう者から好まれやすい)主義の性質上、指示側になった経験がない者は平等主義者に少なからず含まれるでしょう。だから、そういう「自分は指図はされたくないけど自分が指図する側になるのは構わない」という人が自然と混ざりうることになります。指示側となって確認したことがないから本人自身知らないのです。

誰もが互いに上下関係に基づいた指図をしたり受けたりしないのが、ピュアで理想的な意味での平等主義のはずです。だから「自分が指図をする側になるならOK」という者は、「指図されたくない」という受け手としての側面だけ志向が合致している「見かけ上の平等主義者」に過ぎないわけです。

これが、平等主義的なはずの運動がなぜかしばしば強力なヒエラルキー構造に帰着する元凶ではないかと江草はにらんでいます。

たとえば「全ての国民が平等なパラダイスみてぇな国を作りてぇ」として生まれた社会主義国家がことごとく独裁的な国家と化したり、平等主義を目指して結成されたはずのコミューンが(時に集団自殺を強制されるほどの)トップダウン方式が著しい組織になったり。

平等主義的な組織を目指してたはずなのに、時にそれと真反対な帰結を生むのは、それはトップに立った者が実は「指図はされたくないけど指図はしてもいい」という人間だったからではないでしょうか。「指図したくない」と本心から思っていれば、そうはならないはずですから。

下のポジションだった時は指図を嫌っていたけれど、いざ上になってみたら意外と指図するのは心地よかった。そうして、つい平等主義の志に反して、上下関係を保存してしまう、と。

独裁国家やカルト組織ほど極端な上下関係を敷くわけではなくとも、誰もがマイルドにはそうしたことをやってしまうのはありうるんじゃないでしょうか。

だから、「フラットな組織を」とか「平等な社会を」などと掲げたくなった時には、ちょっと胸に手を当てて考えてみてもいいでしょう。

「自分が指図されるのを嫌う人間なのは分かった。でも指図する方はどうだ?指図するのはやぶさかではないと言うならば、実は思ったほど自分は平等主義者ではないのではないか」と。

本気の平等主義者は「指図すること」も嫌うはず。ただ、「指図しない」のはとても大変で面倒で時間もかかるし、しかも自分の思い通りにならなかったりするので、案外、指図できる立場になると指図しちゃうものなんでしょうね。

これ、一回指図できる立場になったことがないと、自分でも分かってない可能性があるので、結構危険なトラップと思います。

「フラットな組織を作ろう」と言いながら、なんだかんだ自分の思い通りにメンバーを動かそうとしてたりしてませんか?

それ、「自分が指図されたくない」だけだったりしませんか?



……と、この話、こないだ妻からフラットなチーム作りについて意見を求められた時に、即興で語ったやつなんですけど、妻的にはグサグサ来たっぽくて、しゅんとなってました。でも「ぐ、いいパンチだぜ……」みたいな顔をしながら結構褒めてもらえたので、もしかすると需要あるかなあと思って、noteにもまとめてみました。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。