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「イーロン・マスクは世界一忙しい経営者」という幻想

先日Xでついツッコミを入れてしまったポストがありまして。

たまたま流れてきたポストがイーロン・マスク氏を「世界一忙しい経営者」と評してたのが、さすがに「えええーっ」ってなってしまって。(しかしまあ、こうやって衝動的に突っ込みたくなるXの仕組みは相変わらず魔物ですな)

江草ポストでも説明してますが、改めてここnoteでも説明しておきますと、イーロンマスク氏は一大巨編オープンワールド型アクションゲームである『エルデンリング』をクリアしてることを明言されてます。

別にイーロンマスクが暇人であるとまでは思いませんけれども、普通に大作ゲームをクリアできる暇がある人を「世界一忙しい」と言ってしまうのは、さすがに無理でしょう。


いや、江草自身はなんだかんだこういうビジネス系自己啓発的な言説自体は好きなので、元ポスト投稿主を揶揄するつもりはないんです。「睡眠が重要」とかまあ大事ですしね。

でも、そういった自己啓発的な本題はさておき、さらっとイーロン・マスクが「世界一忙しい経営者」とみなされるこの空気感はとても興味深いものがあります。

ツッコミを入れた江草自身、イーロンマスク氏の生活を想像すると「めっちゃ忙しそうだなあ」というイメージは湧くので、気持ちは分かるんですよ。なんか忙しそうな気がする。でも、だからこそ「イーロンマスクは普通にゲームクリアしてる」という事実が、皆のイメージと大幅に異なっているものとして輝いてるわけです。

つまり、私たちには「イーロンマスク氏は世界最強レベルに忙しいに違いない」と決めつけているバイアスがあるのではないか。この一件はこうした疑問を示唆するものなのです。


しかし、となると、なぜ私たちはイーロンマスク氏は忙しいはずだと思い込んでしまうのかが気になりますよね。

ここで思い起こされたのが、江草のnote友達のホモ・ネーモさんによるこの記事です。

となると、ここで奇妙な現象が起きていることに気づく。僕たち視聴者は年がら年中パーティと旅行に明け暮れるバチェラー収録のような暮らしと、ワーカホリックなビジネスエリートである久保さんのような人物に、同時に憧れているのだ。両者は明らかに相反しているというのに。

ネーモさんはこの記事の中で、「バチェラー」といういわゆる恋愛リアリティ番組を切り口に、人々が番組の恋愛ショーの舞台となっている有閑階級的な暮らしと、多忙にバリバリ働くビジネスエリート、という相反する両者に同時に憧れを抱いていると指摘しています。

この考察において、バリバリ働くビジネスエリートが憧れの存在となっている理由として、ネーモさんは「私たちの社会が実力主義社会となってること」を挙げています。

現代の社会では実力主義の発想が幅を利かせている。その筋書きによれば、金持ちはその才能や努力をもってして金持ちの地位を手にしたのであり、貧乏人は努力不足によって貧乏になったことになっている。確かに親ガチャは存在するものの、努力次第でいくらでも覆すことができる、だから貧乏人は甘え‥というわけだ(そうなると憧れの対象は三菱の御曹司ではなく、久保さんのようなワーカホリックのビジネスエリートになる)。

この筋書きからすれば有閑階級の存在は収まりが悪い。だから、パーティに明け暮れるようなあからさまな有閑階級は表舞台から消え、ジョニーデップの娘のような人や、ビルゲイツの嫁のような人でも、あくせくと働いているところを人々に見せつけるようになった。「私たちはあくまで実力によってのしあがっただけであり、たまたまジョニーデップの娘だっただけですよ?」というわけだ。

つまり、この実力主義社会では、金持ちの人が「暇ですよ」という顔をしてしまうと「不労所得ズルい」とか「実家太い」などと人々から批判の声が高まってしまうので、金持ちであってもあえて「忙しいですよ」とアピールすることが必要になったというわけです。

めっちゃさもありなんな話ですよね。


で、今回のイーロン・マスク氏の件も、この話の変形版と考えることができるんじゃないかなと思うのです。

イーロン・マスク氏と言えば、押しも押されぬ世界的大富豪です。

っていうか、もはや「世界一の富豪」らしいです。

さて、実力主義社会文化にどっぷりと浸かった私たちにとって、「忙しく身を粉にして働いた人が大きな見返りを得る」がある種の倫理的な規範と化しています。「no work, no pay」とか「働かざるもの食うべからず」とかがその象徴的なスローガンですね。

この「忙しく身を粉にして働いた人が大きな見返りを得る」という規範、おそらく私たちの中で逆方向のロジックに転じることがあるんですね。

つまり「大きな見返りを得てる人は忙しく身を粉にして働いた人だろう」と。

論理的には「逆は必ずしも真ならず」なので、本当は妥当ではない逆転論理なのですが、それでも私たちはついこういう逆転思考をしてしまうのです。

これはそんなに突飛な現象ではありません。

私たちには「公正世界仮説」というバイアスがあることは広く知られています。

公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis)または公正世界誤謬(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。

公正世界仮説 -Wikipedia

要は、私たちは酷い目に遭った人を見たら「何か悪いことをしたためだろう」と考えがちだし、恵まれた状況になった人を見たら「何か良いことを認めだろう」と考えがち、というのが公正世界仮説です。そうした因果応報的な思考が私たちには無意識に備わってしまってるというわけです。

こうした公正世界仮説バイアスと実力主義社会文化が合わさると自然と生まれるのが、「大きな見返りを得てる人は忙しく身を粉にして働いた人だろう」という無意識的な思考なわけです。

そして、もっと言えば、これは「大きな見返りを得てる人は忙しく身を粉にして働いた人であって欲しい」という渇望でもあります。

公正世界仮説も「悪いことをした人が酷い目にあって、良いことをした人が報われる、そういう社会でないと不安だし嫌悪感が湧く」という人間心理が背景にあるとされています。

同様に実力主義社会も、皆その規範で生きている以上、「怠けて働かない人が貧乏になって、熱心に働いた人が金持ちになる」そういう社会でないと不安だし嫌悪感が湧くというわけです。

実力主義社会に生きる私たちが「この社会は実際には実力主義ではない」という事実を認めたくないがために、無意識的にそれに反する事実に蓋をし、認知を自ら歪めることをしでかす。「公正世界仮説」バイアスの存在は、こうした自己認知操作を私たちが十分にしうることを支持しています。


だから、「世界一の富豪」であるイーロン・マスク氏は、私たちの社会規範においては「世界一忙しい経営者」でなくてはならなかったんです。本当はどうかとか実際はどうかとかそういうのはもはや関係ありません。

「世界一の富豪なら世界一忙しいはずだ。いや、世界一忙しくあってくれ」という私たちの願望が、そのまま直接的に私たちの認知に反映されている。これが、多くの人がすんなり「イーロンマスクは世界一忙しい経営者だ」という命題を受け入れてしまう、少なくともさほど違和感を感じないことの理由ではないかと、江草は考えているわけです。

先述の通り、江草自身このバイアスから逃れられてるわけではありません。ついつい「イーロン・マスク氏はきっとめっちゃ忙しいだろう」という気になっています。でも、よくよく考えると江草はイーロン・マスク氏と会ったことも話したこともないし、彼の日常のタイムスケジュール表を見たこともある訳でもないんですよね。多分みなさんもそうでしょう。つまり、これはただのイメージ幻想に過ぎないんですよね。

江草はたまたま「イーロン・マスクがエルデンリングをクリアした」という話を知っていたので、「世界一忙しい」という評に違和感を抱くことができましたが、もしこの話を知らなかったら「イーロン・マスクは世界一忙しい経営者だ」という言説をサラッとスルーしていた可能性は十分あります。

だから、今回の件は、このイーロン・マスク氏の話に限らず、私たちにはこういうイメージ先行でスルーしてしまってる「知ってるつもり」の誤認識事項が山ほどあるのだろうなと感じさせられる一件でもあります。

なかなか背筋が寒くなりますね。

せめて多少なりともこの誤認識を修正するためにも、今後とも批判的思考(クリティカルシンキング)を磨きたいなと思った今日この頃なのでした。



※なお、今回の件に関連して、そもそも「忙しい」とはどういうことか、についても語りたかったのですが(つまり冒頭の江草のポストの「専業主婦の方が忙しい」パートに関する議論)、本稿はすでにだいぶ長くなったので、その話は機会があればまたということにします。


江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。