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コラムvol.1 「わたしたちにならなかった、わたし」たちが住まう国

演出家として2014年『わたしたちになれなかった、わたしへ』という観客参加型の演劇をつくった。観客ひとりひとりが「わたし」という出演者となり匿名が担保された糸電話で会話を交わすことで、世間において規定され暗に強制されてもいる「わたしたち」を見つめ直す。その目指されるべき「わたしたち」に「わたし」が寄り添い生きるのではなく、村を新たに開くように「わたし」から「わたしたち」を立ち上げる。そのとき、どのような「わたしたち=共同体」を見るのか。いわば過度にシステム化された現代に対するささやかな実験だった。

来年度へむけた作品のリサーチでフィリピンに滞在し早ひと月。『わたしたちになれなかった、わたしへ』をこの地で実施することも考えた。戦争を越え革命を越え、今尚「生きる」ことに必死なこの国の住民たちが抱えている事柄は多いし切実だろう。わたし自身興味を唆られる。いま招聘されているフィリピンの国際演劇祭KarnabalディレクターのJKがはじめ最も興味を示したのもこの作品であった。

表紙画像とともに撮影:和久井 幸一

でも、言語などの技術面以上に『わたしたちになれなかった、わたしへ』をこの国で実施する必然性が見つけられなかった。それはこの作品の「多数に従わなければ生きられない(と思い込んでいる)個人」という前提に、この地に生きる人たちが該当しないからだ。日本ほど安全でも経済的繁栄もないこの国で「わたしたち」に付き従うことは安定や幸せと結びつかない。彼らは少なくとも自身で考え、行動しなければその願望は叶えられないことを知っている。彼らは彼らの「わたしたち」が未完成であることを認識し、きちんと「途中」を歩んでいる。

日本はどうだろう? アベノミクスの目指す先は数十年前のような経済成長か。だとすれば、それは自身で規定した上がりに味をしめた回顧主義的幻想に過ぎない。それは政治も教育も国民性もすべてにおいてそうだ。そもそも時代は変わり条件そのものが異なるのに、同じ現象を手に入れることなどできるはずがない。

自然科学の進展と社会への波及に伴い、「わたし」を守るべく強固な「わたしたち」が必要とされてきた日本。その恩恵にも十分預かってきた。その弊害として本来持ち合わせていたはずの「わたし」は疲弊していく。それとも、前近代においてもまた「わたし」は「わたしたち」に寄与すべき関係であったが、現代人は辛抱が足らないのか? それでは70数年前のスローガンと変わらない。日本に住まう我々も等しく「途中」にいるのだ。彼らと同じく未完の国に住んでいる。そのことを「わたし」はいい加減はっきりと認識すべきだろう。でなければ再び「わたし」は滅び、「わたしたち」だけが生きる戦争の路をたどる。

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