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3月6日(日) フィリピン滞在51日目

こんばんは。いまは2016年3月6日。こちらの時間で深夜0時をまわったところです。ちょうどメールを交わして「もう寝ようかな」と思ったところ。床にこの便箋が落ちていたのを良い機会と、筆を進めてみます。

もうすぐこちらに来て2ヶ月になります。だいぶしんどい時期に入ってきているなぁ、というのが率直な感想です。やっぱり日本人は日本人でしかありえないというのか。どう自身の生活を肯定していくのか、「役割」のない中でこの土地を日常として生きる、ということ自体がひとつの修行のようでもあります。「どうフィリピンに住む彼らを映し、またそこに自身を映すのか」。それは幼い子どものような行為でもあるし、またはそうして役者であった頃の行為を改めることで自分の役割を探すような。それだけこの土地に追い詰められているのかもしれません。

と、なんだかネガティブなことを書いていますが、別にそれだけでもなくて。4月からはSabaganという田舎に移住することにもなりそうだし、「生活」という視点から、そしてこのフィリピンという土地でなにを自分で立ち上げられるのかの、いわば実験ですね。

これを経て、どんな自身になれるのか、なにも変わらないのか。1月の末にインタビューを受けた原稿が確認のため今日返ってきましたが、赤裸々過ぎてとても読めたものではありませんでした。でもそんな過去たちをきちんと埋葬するには良いのかも、とも思えています。結局3時間かけて、半分も読めなかったけれども。一方でそういう赤裸々なインタビューは今回限りにしようとも思いました。誰かにとってはそんなこと、どうでもいいことだということも理解しつつ。

もうひとつだけ。きっとどうでもいい、でも僕にとっては大事な話を。先日****がBlanClassというアートスペースでトークをしたのね。その模様をYoutubeのLiveで飛ばしてくれて見たのだけれども、彼はアーティストとして甘えているなぁ、と感じました。でもそれは彼だけの問題ではなくて、周りの甘やかす大人たちの問題でもあるのね。もう30過ぎて誰かを「大人」と規定すること自体、この内容にして象徴的だとも思いますが、その大人たちは彼を甘やかしているようで、実は甘えているの。そして彼はそのことに無自覚なの。彼にそれを伝えたとき、彼は覚悟の話をしていたけれども、「覚悟の仕方なんて、それぞれだと思うなあ」、と。彼にはこの話きっと伝わってなくって。と同時に、覚悟なんて移ろいやすく儚いものだと、その心意の方が柔らかくて信頼に足る、そうでないとその与えられる甘さの無常さに抗せない、と僕はそう思いました。

いずれにせよ伝え切れませんね。このあたりはまた改めて。帰ってこれたら。きっと帰ります。いや当然。

日本では梅が咲き始めたとのこと、良いですね。こちらは3月を迎えて益々暑くなってきました。水はもはやお湯です。

2016年3月6日 1:24am

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