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華のアイドルから、会社の総務職への転身。別世界?一貫しているのは           「目の前の人を喜ばせること」


こんにちは!c0ban取引所広報チームです。

当社(エクシア・デジタル・アセット株式会社:略EDA)の総務担当の
野村ゆりえさん。現在は、総務関連の多岐にわたる業務をこなす、
「縁の下の力持ち」として会社を支えています。

当社初の育休から復帰した、ワーキングマザーでもあり、私生活ではやんちゃ盛りの2歳の男の子の子育てに奮闘中。公私ともにフル回転する野村さんですが、EDA入社前は芸能活動をしていました。

モデル、タレント、アイドルと八面六臂の活躍をしながら、今はばりっとオフィスワークをこなすその転換とは、どんなものだったのしょうか?

勉強、サークル活動に専念する真面目な大学生、
芸能活動の世界に飛び込む

Q1 芸能活動を経て、EDAに入社というユニークなキャリアですね。芸能活動を始めたきっかけは何ですか?

A1 私は大学卒業後に芸能活動を始めました。大学時代は子どもが好きで選んだ、国際人間学部こども学科に進学して教育系の勉強に専念していました。

障害児支援のサークルに属して、サークル活動と勉強みっちり。今思うと、根性入った生活を送っていましたね。在学中に、保育士、中高保健体育教諭、特別支援学校教諭の資格を取得しました。

実習やサークル、アルバイトで遊ぶ間も全くなく、長期間の休みもないながら4年間は充実したものでした。資格や経験を活かした仕事に就くことは可能でしたが、その一方で芸能活動へのぼんやりとした興味、挑戦してみたいなという思いもありました。

そして、卒業後に地元鹿児島でボーカリストのオーディションを受けたのがきっかけとなって、事務所に入ることになり全く経験がないままに、テレビの情報番組に出演が決まりました。

Q2 勉強づくしの学生生活から一転ですね。その後はどんな活動をしましたか?

A2 全くの素人ながら、地方局の情報番組に出演が決まりまして。
朝の情報番組で飲食のリポートをしたり、MCをしたり。

正直いっぱいいっぱいになりながら試行錯誤していましたが、OA後の反省会では、怒られる事もあり、当時は、泣きながら帰ることも多かったです。

局やクライアントの方々がスタジオや現場で収録を見ているので、
オーバーアクションしなくちゃいけないシーンもあり、ものすごく緊張しました。

きつかったですが、今思うと自分が鍛えられたし、またやってみたいな、という気持ちもあります。

素顔のままの、アイドルデビュー

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Q3 その後の芸能活動はどんなものでしたか?

A3 その後は、モデル活動をメインにローカルのテレビで焼酎のCMに出演したり、ブライダルモデルの仕事をしていました。

そんな中、新たな転機があり「Seven Colors(セブンカラーズ)」というアイドルグループのメンバーとして、活動をスタートしました。

7~13名の女子のアイドルグループで、イベント、学祭、おまつり等でライブをするのと、アイドル居酒屋で接客とイベントをするのがお仕事。

アイドルというと、キャラクターを作って自分を魅せるイメージですが、私の場合はこのままのキャラで、素のままで仕事していました。

Q4 このままのキャラって、野村さんらしい(笑)。実際にアイドルを体験しての楽しさってどんなもの?

A4 ライブでのメンバーとお客様との一体感が一番ですね。ライブ中の合いの手、掛け声、手拍子、笑顔。一緒になってライブが盛り上げるその臨場感には、泣くぐらいに感動します。

それといわゆる「オタク」の方が、お客様には多いですが、どちらかと言うと人づきあいが苦手なタイプの方々がライブを通じて、仲良くなっていくのも見ていて嬉しい。

アイドルの仕事は「笑顔と笑顔の架け橋」だったと思っています。

メンバーとして最後のライブとなった中国大連では、中国のファンの方もすごく盛り上がってくれて国が違っても、やはりそこに笑顔が生まれることがすごく印象的でした。

とはいえ実際の仕事は、真夏の海でイベントやってから別のイベントに移動というようなハードスケジュールの連続で、熱中症寸前になりながらも、楽しさがそれに勝ったので、頑張ることができました。

そうするうちに、いつまでアイドルをできるかの葛藤もあり20代半ばでアイドルは卒業しました。

元アイドル、ベンチャー企業に飛び込み
オフィスデビュー!


Q5 鹿児島での芸能活動から、東京でのオフィスワークその転身を教えてください。

A5 上京したのは知人が3カ月限定の飲食店を開くからと、仕事の声をかけてもらい、鹿児島を出て仕事をするのも経験になると思って引き受けました。

仕事を始めてみたら、これがハードで(笑)。辛いこともあったのですが、この時に仕事仲間として沢山相談に乗って助けてくれたのが、今の夫です。

いったん鹿児島に戻りましたが、改めて東京で生活しようと思い再度上京。この時に知人から当時のLastRoots(現EDA)を紹介して頂き、当初は社長の秘書として入社しました。

当時は全くPCもできないし、どう仕事をすればいいのか?と、思いながらの入社でしたが、できないスキルを問うよりも前に進め!

という、ベンチャーの熱気にあふれた状況で、私もその熱に飲み込まれながら少しずつ仕事を覚えていきました。

Q6 初めてのデスクワークを経験して感じた仕事の面白さは?

A6 最初は秘書職での入社でしたが、いつの間にか会社のなんでも屋さんの総務職に転換しました。

正直、デスクワークは苦手・・・と思っていましたが、ぐちゃぐちゃの書類が片付いていき、手にかけた仕事が形になることに達成感を覚えるようになりました。

ベンチャーあるあるかもしれないですが、総務領域の仕事は後回しになる傾向があるのか、整えることが沢山ありました。

そして、周囲の方々もフォローしてくれて、都度教えてもらい少しずつ色々なことを覚えていくことができました。
この環境があったから、今があると感謝しています。

それと、当時は月に一回社内で開催する趣向を凝らした飲み会がありました。この企画や準備を担当し、誕生月の人の出身地の食べ物や、お酒を用意してみんなで和気あいあいとお祝いする。

この時に社員の皆さんの笑顔を見るのが嬉しくて、どんな仕事でもその先に生まれる笑顔を見ることができるのが、仕事の醍醐味だと改めて思いました。

それと、仕事はやはり人とのつながりがあってこそ、成果が出るものと強く実感しました。

Q7 当社で初めて、産休、育休を取得されましたね。その際に不安などありましたか?

A7 正直、不安な気持ちがなかったわけではないですが、その気持ちが吹き飛ぶような素晴らしいことがありました!

最終出社日に、会社の皆さんでお祝いしてくださったのですが、そのときにびっくりするサプライズプレゼントを頂きました。当時社内にあった動画制作チームが、企画制作してくれた動画をプレゼントしてもらいました。

全社員が歌ってくれたり、踊ってくれたりでメッセージをくださり、ビデオの最後には夫が登場!それも、夫が会社の近くを歩いてくる画像が流れて、会社のエレベーターに乗り込む・・・

そして、エレベーターが開いたタイミングで、なんと夫が本当に登場するという。
夫が現れた瞬間には号泣してしまいました。

これは人生で一番のサプライズプレゼントでした。夫も巻き込んで、入念に準備のうえ撮影・編集してくれたチームの皆さん、そしてメッセージをくれた全社員の皆さんに、感謝と一緒に涙があふれ出て止まりませんでした。

こんな素晴らしい励ましをもらって、産休中は心穏やかに過ごすことができ、おかげで?子どももお腹でスクスク育って、3,912グラムのビッグベビ―を無事に授かることができました。

今では、2歳のやんちゃ坊主となって、家の中を駆け回ったり、ベッドの上をジャンプしたり、前回りしています。

ワーキングマザーとして、未来を見据えた
チャレンジを続けます

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Q8 やんちゃ坊主可愛いですね!では、仕事に復帰後の所感を教えてください。

A8 復帰がコロナの渦中だったので、大丈夫かなぁという気持ちもありましたが、在宅と出社のバランスをとりながら仕事ができるのは、小さい子どもがいる今はむしろ仕事はやりやすいです。

仕事復帰にあたっては、会社の規程類を改めて読み返し、育休中の前後での会社の動き、変化について確認して、会社の流れを自分の中で取り戻しました。

復帰にあたっても、部署の仲間や会社の皆さんが暖かくバックアップしてくれたので、思った以上にスムーズに仕事に戻ることができています。

当社はコロナが流行し始めた当初から、他社に先駆けて在宅ワークの制度を導入しています。

その分体制がしっかり整備されているので、とても仕事をしやすい状況にあり、この体制の中で仕事ができることはとても幸せだと思っています。

ただ、このコロナ渦での仕事復帰でちょっと残念なのは、育休中に新たに会社のメンバーになった方々も多いなか、なかなか皆さんに絡めないことです。

人が好きだし、総務の仕事はそもそも、会社の皆さんを支える仕事なので、なるべく多くの人に関わってその人を知ることを通じて、仕事の質が上がると思っています。

でも、今はそれをぼやいても仕方がないので、会社のチャットをうまく使って、少しでも巻き込み力を上げて、会社の絆が固くなることに貢献したいと思っています。

アフターコロナを見据えて更に自分に何ができるかが、これからの自分の課題です。

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野村さんと話をしていて、一貫して感じるのは彼女の中にある太い幹が

「目の前の人を喜ばせること」ということ。

以前は、当社が運営していた動画メディアc0ban.tvにモデルとして出演。総務の仕事と兼務して、時にはきつい撮影も泣き言ひとつ言わずにこなしていた姿が印象に残っています。

見た目の美しさ以上に美しいのは、「人を喜ばせる」という美しい心持。

学生時代、芸能人時代、そして会社員として活躍する今、ぶれずに目の前の人に尽くすという一貫した姿勢と飾らない人柄に惹かれます。

そして、未経験からいきなりテレビ番組に出演、デスクワーク経験ゼロから果敢に秘書職にチャレンジする、その「胆のすわり方」が、応援したい!!と自然に周囲の人を巻き込む原動力のように思いました。

多彩な経験があり、多くの引き出しをもつ野村さん。

今は母親としての顔も持ち、更にその引き出しが増え、そしてこれからその「巻き込み力」を持ってどんな仕事、ライフスタイルを展開するのか?

「目の前にいる人を喜ばせること」という、太い幹から芽生える新しい「何か」に期待し、会社の仲間として彼女に目が離せません。

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