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いま(2023.04.07)思うこと

桜も散り、汗ばむ日が増えてきた。こんなにも忙しさとかけ離れた3月は穏やかに、それでいて、あっという間に過ぎていった。そして昨日5回目の結婚記念日がやってきた。
半年も育休を取って、仕事復帰が出来るのかとたまに聞かれることがある。
何に生き甲斐を見出すかによるが、別に働かなくてもいいなら働かないという選択肢があってもいい。しかしながら、何かに対してある程度の責任を負って生活をしていた(ただ普通に仕事をしていただけですがw)反動で本当に何もしないでいるということにどこか後ろめたさがある。何かしらの成果や、自分自身に成長を感じる機会や経験があって、それがモチベーション、やる気、生き甲斐に繋がっていたわけで、やはりどこかでそういう"何か"を見出して自己肯定感を得たいと深層心理で思っている気がしてならない。
"何か"によって自分の価値や評価を得る、自己評価ではなく他者評価で、客観的な指標で測られることを考えてしまう。サラリーマンの呪縛なのかもしれない。
育休に入る前にリスキリングの話を少し書いたが、通じるところがある。育児と家事をするために仕事をしない、と言う選択をしたのに前述したサラリーマンの呪縛のせいで、子供の成長だけでなく、自分の成長も考えてしまう。1日のうち子供が寝ていて、かつ、家事も終わった時間は積み上げればそれなりにある。つい、スマホをいじったり、ダラダラとテレビやNetflixを垂れ流しがち。それは決して悪いわけではないが、ふとした瞬間に、"あれ、今日俺何したかな?"などと考えてしまう。
成長しなければならない、前年より目標を高く持たなければならない、言ってしまえば資本主義社会の前提条件みたいなものが刷り込まれて居るような気分だ。
いや、しかし待てよ、がんが発覚して業務量も激減してもらい、残業なしのほぼ定時上がりと言う待遇を与えられ、生きていく上で何を大事に、重要にするか、価値感が変容した気でいたのにだ、結局は刷り込まれたものに固執している。恐らく一つ言えるのは、体力的にも精神的にもまだ元気であると言うことが原因である。
良いことであるが故に自分がどうしたいのか、なんだかブレていて、心と体が不一致な感じがしている。実はこれ、病気が発覚してからずっと続いている感覚なんだな。身を粉にして働きたくはないが、それは無理をしたら体に支障をきたすかもしれないという推測でしかなく、実際は体力的には働ける気がしてるし、病気との付き合い方さえ間違わなければいたずらに悪化はしないだろうとも思う。
本当は、病気になって何が大事か、価値観が変わりました、とか言ってみて、スローライフを送ってみたいが、中途半端に元気な分、どう立ち振る舞っていいのやらまだ答えが見つからない。育休明けに今の会社で何をするか、もしくは別の仕事をしたいと思うか。残り4ヶ月でもう少し考えないとならない。
そっか、4ヶ月後変わらず元気でいないといかんな。

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