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35歳、建築・内装会社に勤務、2021年癌が発覚し現在闘病しながら仕事を継続、2022…

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35歳、建築・内装会社に勤務、2021年癌が発覚し現在闘病しながら仕事を継続、2022年に娘が生まれ絶賛育休中(2023年2月〜8月)

最近の記事

どう生きたいかを考えた

癌が発覚して2年経ちSNSで公表した。 思いのほか多くの友人が励ましや力になりたいと連絡をくれた。 公表した時点ではまだ比較的元気な状態で、抗がん剤もよく効いていた。 この時は気付いてなかったが、癌であろうが重い症状や、副作用があまりない状態では気持ちの持ち方も前向きで、物事もしっかり考えられていた。 この状態はステージ4を宣告され、治すことは出来ないと言われたときも同じであった。治らないと言われても、辛い症状もなく、苦しいわけでもないし、どうやって生きていくかを考えても今

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      5月の家事ヤロウ

      • ルアーフィッシングと山田うどん

        他愛もないこと徒然なるままにしたためていこうと思います。 先日妻の実家に泊まった時、明日休みだからどっか行くなら付き合うとお義父さんから言われ、前々から話題に上がっていた釣りに行くことになった。 そもそも私は釣りをやったことがない(子供の時分、親に連れられて屋形船でワカサギか何か釣ったのはノーカウント)わけで、ましてやルアーなんてテレビで観たことしかないレベル。ところが会社の先輩に部員を稼ぐために半ば強引に釣り部に勧誘されて、やってみればなんとかなるだろう精神で快諾した話をお

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          4月の家事ヤロウ

        どう生きたいかを考えた

          いま(2023.04.07)思うこと

          桜も散り、汗ばむ日が増えてきた。こんなにも忙しさとかけ離れた3月は穏やかに、それでいて、あっという間に過ぎていった。そして昨日5回目の結婚記念日がやってきた。 半年も育休を取って、仕事復帰が出来るのかとたまに聞かれることがある。 何に生き甲斐を見出すかによるが、別に働かなくてもいいなら働かないという選択肢があってもいい。しかしながら、何かに対してある程度の責任を負って生活をしていた(ただ普通に仕事をしていただけですがw)反動で本当に何もしないでいるということにどこか後ろめたさ

          いま(2023.04.07)思うこと

          育休と闘病(2月編)

          【育児と向き合う】 この言葉は育休を取ってる人と、取ってない人では意味合いに越えられない壁があるということがわかった。少なくとも私はそう感じた。 社会人になって漸く10年目に差し掛かろうというタイミング、これまで、実家暮らし、一人暮らし、結婚生活を経て、自分のプライベートのコミュニティと仕事におけるコミュニティを両立させつつも、時間数としては圧倒的に仕事に取られるわけで、自分と社会の繋がりは仕事を通した関係の中で作られ、その社会の中で自分の成長や自分の価値(社内外の評価価値)

          育休と闘病(2月編)

          育児休業

          娘が生まれて2ヶ月経ち育休が始まった。 生きていくうえで割ける時間とパワーには限りがある その時大事にしたいことを選択する自由がある程度認められるということが環境としてとても有難い。 自分の代わりとなる人材がいることも同時にありがたい。自分の病の事もあり産まれてすぐのこの状況で6ヶ月間家族にだけ向き合える時間を作れたことに感謝をしている。 選択できる自由があるのは会社としてよいが、自分とは違って、替えが効かない環境(部門、部署)にいる人も多いのではと当然推察する。生き方は人

          育児休業

          34歳で末期癌になった話#セカンドオピニオン

          7月になり投薬を初めて一年が経ち、改めて薬がいつまで効き続けるのか、耐性のことが気になり始めた。治療に関しての最新の報告があったようで、平均して20ヶ月程度で耐性がつくということだった。ただ、全体の1/3程度の人で3年ほど効き続けるという結果も出ているようだった。 他が分からないので長いのか短いのかの判断がイマイチつかないが、当初1年くらいで耐性が付くかもしれないと言われていたので多少伸びたのか、くらいの印象しかない。以前この分子標的薬で癌が消えないのかと質問した際に、それは

          34歳で末期癌になった話#セカンドオピニオン

          34歳で末期癌になった話#寛解という考え方

          和田洋巳氏の"がん劇的寛解"という本を通読した。この本を読み、治るか治らないかの0か100かしか考え方としてないのが、今のがん治療のスタンダードということを知った。そしてそれが100年変わっていないということも。 以前、何の知識も無い私が一度、腫瘍が小さくなったら次の治療方針があるのか聞いた時、主治医からは標準治療から外れたことはしないで、薬の服用を続けるだけです、治りませんから。と当たり前のように言われたことを思い出した。 その時は"がんの治療はそういうもの"かと思ってしま

          34歳で末期癌になった話#寛解という考え方

          34歳で末期癌になった話#3

          8ヶ月の治療経過は順調で、特に体の不調が支障になることはない。普通の健康状態と一見すると変わらないように感じる。 しかし腫瘍が無くなったわけではないし、ステージ4から3や2になったわけでもない。理論値に過ぎないが、5年後に生きている確率は10%のまま この2つの事実が感覚的にどうも相反している。 池田英彦さんという方が末期癌と発覚してから2年間カメラを回して映画を撮ったという記事を見た、内容はともかく、自分のやりたいことや願望を最後に叶えたいという熱量、ある種の生への執

          34歳で末期癌になった話#3

          34歳で末期癌になった話#2

          転院した先の医師から進行癌は根治しません、と、はっきりと冷静に告げられ、5年生存率が10%であることももれなくついてきた。 どうやら遺伝子異常による事が原因で、エクソン19という部分の欠失であった。 5年後、39歳、40歳を迎えられずに死ぬのかと漠然と想像するも全く実感のない想像に到底理解などできずに言葉だけが残った。 3年前に結婚し、2年前に家を買い、仕事も充実してきたこのタイミングで、数年後に人生が終わるかもという理不尽な現実。とてつもない虚無感にかられ、何のために今まで

          34歳で末期癌になった話#2

          34歳で末期癌になった話

          2021年6月9日の診察で肺癌ステージ4の宣告を受けた。 咳が止まらずなかなか病院に行けなかったものの、軽い肺炎程度だろうとたかを括っていた自分にとってまさに青天の霹靂 何を言われてるか理解できないまま、リンパ節と脳への転移を淡々と説明され、急に突きつけられた死に思考がついていけなかった 2020年コロナ禍にも関わらず昨年から動き出していた大きなプロジェクトへの参加が確定し、8月頃から急激な加速度で進み始めた。週の6日は仕事に費やす日々にも慣れ2021年5月までとにかく遮二

          34歳で末期癌になった話