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34歳で末期癌になった話#3

8ヶ月の治療経過は順調で、特に体の不調が支障になることはない。普通の健康状態と一見すると変わらないように感じる。

しかし腫瘍が無くなったわけではないし、ステージ4から3や2になったわけでもない。理論値に過ぎないが、5年後に生きている確率は10%のまま

この2つの事実が感覚的にどうも相反している。

池田英彦さんという方が末期癌と発覚してから2年間カメラを回して映画を撮ったという記事を見た、内容はともかく、自分のやりたいことや願望を最後に叶えたいという熱量、ある種の生への執着みたいなものだろうか。

翻って、我が身を思うとき、仮に本当にあと5年しか生きられないとなったなら何をするのか、したいと思うのか、何か思い切った決断や行動を起こすのか。今自分の状態がそこまで逼迫してないからか、どこか他人事のような感覚がまだ拭えない。会社を辞めて旅に出るとか、大事な人と過ごす時間に充てるとか、わからないでもないがまだピンとこない。それはそれで幸せなことだと思うのでまだ何もアクションは起こさないが、急に余命宣告などの予期せぬ事態がないとも分からないから怖い。やはりリストアップくらいしておこうという今日この頃。

病気になって思うようになったことがもう一つある。生きた証をどうにかして残しておきたいと思うようになった。どんな物・形・コトであれ、自分が表現した何かを残したい。このnoteもその一つだし、会社での実績や成果でも良いができれば仕組みとして使われ、残っていくようなこと。

そして思い出したかのように10年以上ぶりに筆をとって書をしたためたり、家の中にDIYで棚を作ってみたり、思いつくことをやってみてふと気がついた。もっとも自分の存在が残ることって自分の子供なんじゃないかと。

結婚して4年が経とうとするがまだ子供はいない。なかなか自然に授かることが難しく妻と病院に行くことかれこれ3年になろうかというところ。なかなか出来ないことに輪をかけて、癌の投薬治療が始まると薬の影響が精子に出る可能性がありまずは凍結保存を余儀なくされた。限られた可能性が更に小さくなった気がしてかなり凹んだことを覚えている。しかしながら正直なところを言うと、病気になったばかりの頃は自分が生きることと子供ができることどちらかを取るのならまだ生きたいとさえ思っていた。しかし今、自分が何を残せるのかを考えて、子供ができて欲しいと強く、強く思うように至った。

そして今月ついに妻が妊娠したことが判明した。涙を流して抱き合って喜んだ。まだ安定期に入るまでは油断できないが、こんなに嬉しいことはない。まだまだ死んでたまるかという気持ちで生きていこうと思う。負けない、負けない、負けない!



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