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ノートパソコンを持つとなぜノマドになるのか

今は昔、あるところで「ハイパーメディアクリエイター」と名乗る高城剛さんがブレイクした時期がありましたね。
定住しないで常に旅の途上にある暮らし。
ノマドが流行ったのもその頃でしたでしょうか・・

ネットやSNSが普及していない時代には、いくらノートパソコンを持っていたとしてもノマドな職業にはつながらなかったので、ノマドはネット社会の賜物ということができます。

世界のどこにいても、東京と同じように仕事ができる。
メルボルンのカフェにいても、東京のカフェにいるのと同じ体験ができる。
それがノマドのバックグラウンドですね。

ノマドならではの価値

オフィスから離れて仕事をすることは、単に自分が自由になれるというメリットだけでなく、ノマドワーカーに仕事を発注している側にとっても大きなメリットがあるのです。

とくに海外は、なかなか簡単に行けない。
旅行では行けても、長く滞在できる機会はそうありません。
日本のオフィスで仕事をしている人にとっては、日常は日本にあり、市場も日本だったりします。
海外の情報というだけで一定の価値を持っているため、それらをリアルタイムで数多く届けてくれるノマドには、それなりの報酬を与えるのでしょう。

つまり取材する特派員のような役割があるのですね。

Instagramでは、ノマドを自称するアカウントをよく見かけます。
優雅でリッチな旅をしているということ自体が持つ情報的価値を、お金に変えて暮らしている人がいるということですね。

昔、個人的に出会った人で、海外の特定の施設や風景などをカメラに収めて、そのデータを日本の出版社に提供する、あるいは自分も記事を書く、という仕事をされていた人がいました。
プロフェッショナルな写真家ではなく、芸術的な写真も撮れないけれど、必要とされる写真はきちんと大量に撮ることができる。そういう人が重宝されるというようなことを仰っていたように思います。

だから、ノマドは「働き方」ではなく「特派員」であり「希少価値」なのだろうと思います。ワーカーが自分のやりたいことだけを自由にやっているだけでは、第二者、三者にとっての価値はありません。
ノマドであることの価値を十分に分かった上でノマドをやっている人が、理想的なノマドだと言えます。

しかしノートパソコンを持つとノマドっぽくなってしまう

僕は自分が男だからそうなるのかなという気がしています。
女性は「家が好き」という人が結構、多いけど、男性はそうでもありません。仕事に人生を賭けている男性は、家は寝に帰るだけの館であったりします。
一箇所でじっとしていると、ムズムズしてくるのですね。

伝統工芸の職人さんなどは、ずっと同じ場所で同じ作業を繰り返したりするのですが、そうでなければ、なかなか一箇所でじっとしていられないのが男性なのではないでしょうか?

僕も文章を書くのが好きで、note 記事を1日に4つぐらい書くときもありますが、じっと家のパソコンの前にいると、うううっ・・となってくるのです。
せめて1日に1回、外に出ないと気持ちが悪い。
最近では、自転車を買ったので、うううっ・・となったときは自転車で走ります。あるいは仕事で集中したいとき、近所のカフェに移動してそこでパソコンを開けます。

そうすることで、精神的・肉体的なバランスをとっているような気がします。
だから今のようにライターの仕事をしている場合、ノマドワークは簡単にできてしまうから、うううっ・・となったときはすかさず外に行きますね。
そんな生活がもう半年ぐらい続いています。

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