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日本人女性という呪い

※今回は女性に特化した記事のため、「男女」という主語が多発します。

日本人だという話をすると、日本人女性に生まれて可哀想ねと言われたことがある。
言い返せない自分もどこかにいた。

むかしから母国で語られるジェンダーには興味があった。
制度が整っても男女ともにマインドセットがついてこない現状がどこか甚だしかった。

痴漢を日常茶飯事だと言えてしまう先進国、性被害に遭った女性に責任転嫁してしまう世論、ハイキャリアの女性はモテないと口に出す人を横目に鬱憤は募る。
とは言っても文化や常識は簡単に変えることができないから、どうって思わない努力をするつもりで言葉を飲み込む。

タイに住んで5年目にさしかかろうとする今。
日本人女性である呪いは確かに存在することに気づいたけど、無意識のうちにそれを否定せず飲み込み続けてしまっていたのは自分の大きな過ちだったと気づく。

タイの女性やタイにいる非日本人女性は個々のカラーがハッキリしていて、軽やかに生きているように映る。

特定の女性像(女子力、モテ服、男ウケ)といったものはなく、自分が良いと思うものを常に選択して個々が輝いている。
セクシーな服装を好む人も、カラフルなトーンを好む人も、それぞれがより自信をもって美しくなれるからとの理由で選択しており、他人に見られることを目指したものではない。

誰かのため(男性、同性、世間一般)に自分の身なりを整えていた自分がいたことに気づいた。
彼が好きな服を、彼が好きなようにと、実は異性に依存していたのは自分だったのだと。

十代の頃は彼のために、家庭に入ると家族のために、シニアになると両親や孫のためにと。
日本人女性である私たちが私たちを生きた時間は一体いつまでなんだろう。
大人になったら誰かのため(例えそれが我が子であっても)に生きることが当たり前だと信じてはいけない。

ジェンダーを語る上で必要なのは、そういった日本人女性であるがゆえにかけられた呪いを一つずつ解いていくことだと気づいた。

私たちは私たちがしたいことを追い求めていい。
へんてこでもかまわない、自分が生きたい自分を生きていい。

誰よりもまず自分を大切にしてあげよう。
自分はどう思うのか、何をしたいのか、今日はどんな気分なのか。

誰かに聞く前にまず自分に聞いてみよう。
そして伝えよう。
この人生は思う存分輝くことを許されている人生だと。

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