2019年のMGCコースを散策して。

【プロローグ】MGCが行われていた日、仕事で富士山のふもとにいた

子どもの頃から、なぜかマラソンや駅伝を見るのが好きだった。でも、自分で走ろうとはあまり思わなかった(運動神経が悪いだけ)。なのに、人が長い距離を走ってみているのが不思議と好きだった。

ちなみにマラソンや駅伝は沿道で見るよりテレビで見る方が好きだ。全体の駆け引きを見るにはやはりテレビ中継の方が圧倒的に楽しめる。一瞬で通り過ぎる光景を見るよりも、常にレースの動きを見ていたい。となると、テレビで見ている方が単純に楽しめる。

2019年9月15日。テレビの前で釘付けで見るはずだったMGC。いろんな人の想いがきっとこだましたであろうあのレースを、僕は仕事で見ることができなかった。富士山のふもとで仕事をしながら、レース経過をちょいちょい気にしていた。

中村匠吾選手が優勝したと目にしたときは泣きそうになった。駒澤大学の大八木監督のことで頭がいっぱいになった。そして大迫傑選手が3位になったとわかったとき、勝負の残酷さを感じ、女子2位の鈴木亜由子選手と3位の小原怜選手の差を知ったとき、その残酷さはより強調された気がした。でもこの残酷さは、誰のせいでもなくて、真剣勝負ゆえの産物でしかない。

やがて東京五輪のマラソンが札幌で開催されることになった。その一連の動きがとてつもなくアホらしく感じた。あのMGCはなんだったのか、とも一瞬思ったけれど、MGCがあったからこそ、日本の長距離レベルが急激に上がったとも感じていたから、決して意味はなかったわけではない。でも、だ。やっぱり、地元開催の特権はゼロに等しくなった気もした。

マラソンに限らず、東京五輪にまつわるアレコレは、何とも言えない気分にさせる。新国立競技場もきっと素敵なんだろうけど、そのせいで、個人的に佇まいが好きだった霞ヶ丘団地もなくなってしまった。とはいえ、東京五輪で躍動していた選手たちはやっぱり素敵だった。コロナ禍で1年延期もしたけれども、その場を設けられたことは良かったんだと思う。だからか、新国立競技場周辺を時間があったら歩けたらなと、ほんのうっすらではあるけれども、なんとなく思った。そんなときがいつ来るのかは、自分でもわからなかったけれども。

【思ったこと】MGCのゴール付近はきっといろんな人の想いが重なっていた

会社の年度内有給休暇消化で年度末ギリギリの平日、仕事が休みになった。とはいえ、会社に用ができてしまい、有給だけど表参道にある会社に行った。たださすがに長居はせず、昼過ぎには会社を後にし、外苑前で昼食をとった。そのときにふと、新国立競技場近辺を散策しようと思った。うっすら、いつか行こうとしていた場所が、割と近くにあることに気づいたからだ。

外苑前から、秩父宮ラグビー場や神宮球場を横目に新国立競技場の方へ進む。しばらくすると、真新しい大きな建物が現れた。正直、そんなに感動はなかった。ああ、こんな感じかぁ、というどうにもこうにも語彙力の足りなさしか伝わらないような感想しか抱かなかった。

そんなに深く考えず、新国立競技場の周りをぐるっと歩き始めた。マラソンゲートどのへんだったのかなとか、いろいろ考えているうちに、MGCのコースがこの辺だったことを思い出した。あの日、見れなかったあのMGC。なんとなく、ゴール地点の明治外苑の杉並木まで歩くことにした。

男子は、確か、中村選手が仕掛けて先頭、途中までは大迫選手が2位を走っていたけど、服部勇馬選手が抜いていったこと、その後方で大塚祥平選手が粘っていたこと。そういえばいまや日本記録保持者の鈴木健吾選手もこのときいいレースをしていたはずだ、、女子は前田穂南選手が独走、2位を鈴木選手が走っていたけど、小原選手が必死に追いかけた。でも追いつけなかった。

レースを見ていないくせにいろんなYouTubeやニュースを見て作り上げた記憶から手繰り寄せた人工の記憶を思い返しながら、気が付けばゴール手前の曲がり角に差し掛かった。そのとき、なんか泣きそうになった。いろんな人の夢が集まっていた場所だったと感じた。夢を叶えた人、夢に届かなかった人、あるいは新たな夢を見出した人、人生の踏ん切りをつけるきっかけになった人、、、いろんな想いがきっとそこに重ねられていて、なのに、そこで東京五輪のマラソンが行われなかったことが、とても空しく感じた。なんか、胸が苦しくなった。札幌での開催も結果的に良かったとは思う。でも、だ。割り切れないことというのは、やっぱり世の中にはたくさんある、ということにしておこうと思う。誰が悪いとかそういうことではなくて、何かのめぐりあわせで理想にたどり着けないことだってあるということ、そしてそれを受け止められるからこそ、人間でいられるということだと思う。

【エピローグ】2023年のMGCをどう楽しむか

さて、今、日本のマラソンはとても全体の底上げが進み、あとはどれだけ1点突破できる選手が出てくるか、という状況になってきている。MGCがまた行われることになったとのことで、きっと、またいろんな人の想いが重なる日がきっとやってくるのだと思う。今度こそ仕事と被らないでくれ、というのは当然として、現地観戦は、しない可能性が高いかもしれない。ただ、スマホで中継見れるしな、、とは思うけど、自分の世界の中で没頭して観たいというのもある気がするから、現地へは行かない気がする。でも、またそのとき、この間みたいに、なんでもない日に、MGCのコースをなぞりたい。マラソン競技のファンとして、選手が想いを添わせた場所に触れたい。それだけは確かだ。

なんでこれだけマラソンを観るのが好きなのか、自分でも正直よくわからない。ただ、生き様を見ているような、見させてもらっているような気もする。だから、テレビで選手の表情を見たいっていうのもあるんだろうな。その表情やSNSとかで吐露された想いを思い返しながら、その選手たちが想いを浸したコースを、ただただなぞりたいんだと思う。

なんか自分で書いていて気持ち悪い人間だなと思ってきたけど、こういう楽しみ方だってあるんだよって話だ。そして、なんてことない場所が、きっと誰かにとっては特別な場所になりえるってことも、忘れないようにしておこうと思う。

もしかしたら、MGCが行われるたびに、こういうこと繰り返すのかもしれない。それは、要検討とさせていただく、かもしれない。

#一度は行きたいあの場所

#MGC

#マラソン

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