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あのときの直感を忘れないでいよう。

ここ数か月、時の流れがここ数年間よりも、圧倒的にのんびりとしている。コロナウイルスが、完全に時の流れを遅くさせた。と言えば、コロナウイルス憎し、みたいな感じになるだろうか。正直、感覚的には時の流れや考え方を穏やかにしてくれているという、人類の敵であるはずのコロナウイルスに、どこか感謝しないでもない、少し不思議な感情を抱いている。

今年2月、人から見れば激務な仕事の、その合間を縫って、12年住んだ街から引越しをした。その街で築いた人間関係もあったけど、その人間関係に無意味さを一昨年くらいから少しずつ感じはじめ、家の更新のタイミングで家探しを開始。そもそも、正直会社からはそこそこ遠く、いろんなところに朝早く出向いたり、夜遅くになってから帰ったりすることもある仕事をしていて、早く引越すべきという話もあったくらい。その反動なのか、仕事をするのに便利な街への引っ越しを決めた。今となっては、その人間関係を保つために、仕事するには不便な街に住み続けていたのが、心の底からアホらしく思っている。ちなみに、前の街にいる繋がりのあった人たちには、黙って引越しをした。その街で築いた人間関係も大部分は引きずりたくなかった(とはいえ、その街で20代を過ごしたこと自体はまったく後悔していないし、一部、人生において大事な出会いもあったと思っている)。

前の家は、思えば12年も勢いのままに住んでしまった故に、家の中はあらゆるものであふれかえっていた。定期的に行っていた自炊も、数年前から気力も体力もすり減らしたことで、しなくなっていた。帰りたい街ではなくなっていたと同時に、帰りたい家でもなくなっていた。だから、引越しのときにここぞとばかりにたくさんのものを捨てた。引っ越し後に気づいたけど、必要なものまで捨てていた(喪服とか…)。それくらいぐちゃぐちゃだった。

ただ、とにかくスッキリはした。それはとても、スッキリした。

そんなスッキリしまくった引越しをしてから、必ずしようと決めていたことがあった。それは自炊だ。もともとしていた自炊をきちんとしようと思った。引越しで財産の大半が消えたので節約もしないといけない状況もあるし、そのほか、いろんな因があって、自炊する気満々になっていた。そしてモチベーションを保つために、作った料理や弁当の写真をUPするInstagramのアカウントも作った。ほぼ毎日更新することを心掛けていて、それは4ヶ月くらい経った今も続いている(!)。

劇的に変わったのは通勤時間。電車に乗る時間は半分以下になった。その代わり、家から最寄までの歩く時間は倍に。でもストレスの感じ方が違う。もちろん、通勤時間そのものは半分とはいかないまでも、数十分は短くなった。

家の中のものは、前から使っているものも使いつつ、一部のものは新しくしたりした。何よりも部屋が1.5倍くらい広くなったから、とにかく家の余白がちゃんとある。ここから必要なものだけ、あるいは無駄だけど愛すべきものだけ、少しずつ増やしていけばいい。

しかし、引越しによって得た充実感をしみじみ味わい始めたと同時に、コロナウイルスのニュースを多く目にするようになった。そして、仕事にも少しずつ影響が出始める。人が集まれない、換気が必要、手洗いうがいアルコール消毒はマスト、マスク必須、体温の自己申告など。今まで当たり前にしていたこともできなくなった。さらには、仕事の案件自体も延期や中止という言葉がどんどん出始めた。そうしているうちに、リモートワークへと移行し、さらには緊急事態宣言により、外出も極力しない状況になった。

そんな中、ここぞとばかりに、自炊をした。さすがに月3~4回はデリバリーに頼ったりもしたが、基本2~3食、すべて作るようにした。自分好みの味付けにもなり、食事のバランスも心掛けるようにもなる。同じような味やメニューになりがちとはいえ、節約にもつながる。そして、身体にも優しい。自粛生活で自炊を本格化させたら体重も減った。睡眠時間もきちんととれる。見る気にもならなかったドラマを見たり、疎遠になりつつあった最近の音楽も聴き始めた。たぶん、余裕というか、ゆとりができているのだろう。運動不足と、一人暮らしゆえに人と関わらない生活になったこと以外は、プラスの側面が大きかった。なんというか、普段もこれくらいのゆとりが欲しいなと思った。

引越しておいて良かったし、コロナについては良かったとは言えないけれど、でも、負の状況を前向きに捉える自分でいれた。引越さずにいたら、ということを想像しようとしても不思議とできなくて、それくらい、この転換が自分にとってプラスなんだと思った。同時に、これからの生き方、ちゃんと考えた方がいいとも思った。なんだかんだで、今まで、仕事にしろ人間関係にしろ、生き急ぐ生活をしていたのかもしれない。今までの生き方を否定はしないけれど、修正は必要なんだと思った。そういうタイミングを、今迎えているんだと。そのタイミングに向き合える状況も、もしかしたら今までなかったのかもしれない。あるいは、忙しさを理由に、向き合おうともしなかったのかもしれない。でも、その辺はめんどくさいから振り返らない。振り返ったとしても、正直そこまで意味がない気がする。そして、ゆとりは自分で作るものなのかもしれないとも思うようになった。

まだ、自粛期間に入る前、春になりかけの頃、暖かくて晴れていたから、換気も兼ねて、初めて家の中の空気が通るように、すべての窓を開けた。思っていた以上に、心地いい風が入ってくる。よくわからないけど、直感で「これだ」と思った。両手両足、ついでに口元を思いっきり伸ばしたり広げたりしながら、この直感を忘れないでいようと思った。そして、自粛期間のときもそうだったし、今も、同じように、心地いい風が入ってくる。

アフターコロナで世の中は変わるだろう。良い方向へなのか、良くない方向へなのかはわからないけれど、世の中を見ていれば、どうしたって変わる気配を感じざるを得ない状況だ。

そして不思議と、そのタイミングで自分自身も何かが変わるタイミングな気もしている。意図せず、偶然にも世の流れと一致した。きっとこのタイミングで自分も変わるべきなんだと思う。ただし、当然、俺は良い方向へしか変わる気はない。当たり前だよね。そのためにも、あのときの直感を忘れずに生きていこうと思う。

#ゆたかさって何だろう
#エッセイ
#引越し

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