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マチュ・ピチュ (インカ文明)

神秘的な高地の都市遺跡について、サクッと、ご説明いたします


マチュ・ピチュは、ペルーの山奥に築かれた神秘的な都市遺跡です。周辺に広がる貴重な生態系をもつ自然も、世界遺産に含まれています。山の麓からはその姿が確認できないため、“空中都市”ともいわれています。

〈目次〉
1.インカ帝国の遺跡
2.高地にあったため破壊されなかった 
3.雨が多く、水路で水源を確保 

1.インカ帝国の遺跡
マチュ・ピチュが築かれたのは、15世紀です。滅亡したインカ帝国の遺跡の一つで、1911年にアメリカの大学教授ハイラム・ビンガム氏によって発見されました。

インカの人々は、アンデス山脈の高地、狭い山の尾根の上に計画的に都市を築きました。総面積5k㎡にわたる遺跡には神殿、住居、段々畑や灌漑施設の跡が残されていています。


2.高地にあったため破壊されなかった

インカ帝国は文字をもっていなかったため、その歴史は今でも多くの謎に包まれています。古くからのアンデス文明を受け継ぎ、彫金・織物・土器など独特の文化が栄えました。

なかでも石の加工・建築技術が特徴的で、インカ帝国の首都クスコは、精巧な石垣の土台の上に宮殿や神殿が建てられました。石垣の石と石には隙間がなく、剃刀も通さない精度で密着しています。

インカ時代の多くの建造物は、16世紀のスペイン侵略の際に帝国の終わりとともに破壊されてしまいました。マチュ・ピチュは標高2,400mを超える尾根に築かれたため、侵入を免れたのです。


3.雨が多く、水路で水源を確保
マチュ・ピチュの水路は石でつくられ、豊富な水が流れていていました。実はマチュ・ピチュ周辺は雨が多く、水に恵まれていました。そのため遺跡から少し離れた森の中に湧き水があり、水源を確保できたのです。

水路は山から引いた水が斜面を下っていくように緻密に計算され、畑や居住地など広範囲に水を供給していました。山の斜面に沿ってつくられた段々畑では、届けられた水を利用してジャガイモやトウモロコシなどを栽培していました。

また生活や儀礼のための水場が16か所も設置されており、インカの人々の優れた利水技術が見受けられます。

マチュ・ピチュに人々が暮らしたのは約100年といわれているいますが、水路は500年たった現在も機能しつづけ、水を届けているのです。


以上



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