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アンコール・ワット

大自然と調和する神秘的な寺院



〈目次〉
1.はじめに
2.古代クメール王朝によって建設
3.仏教とヒンドゥー教の共存
4.ヨーロッパ人の到来
5. アンコール遺跡の魅力(おわりにかえて) 


1.はじめに
アンコール・ワットは、世界文化遺産に登録されていて、カンボジアにあります。

実は私は以前からこの寺院のことが気になっていました。調べてみたところ、アンコール・ワットとアンコール遺跡は、大自然と寺院が調和し、神秘的だと思いました。

そこで、今回は、アンコール・ワットの歴史等について、ご説明いたします。


2.古代クメール王朝によって建設
アンコール・ワットは、およそ900年前に古代クメール王朝によって建てられた寺院で、カンボジア北西部、トンレサップ湖の岸辺に位置します。

この付近には、今も数百の寺院が残っていますが、群を抜いて有名なのがこのアンコール・ワットです。

広さ約1.6平方キロメートルに及ぶ世界最大級の宗教建造物は、人類の文化的偉業のひとつであり、現在のカンボジアの国旗にも描かれていています。

アンコール・ワットはヒンドゥー教の影響を色濃く受けており、ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーといったヒンドゥーの神々の姿は、アンコール・ワットの多くの彫刻に刻まれています。

3.仏教とヒンドゥー教の共存
クメール王朝は、9世紀から15世紀にかけて繁栄し、広大で豊かな、そして文化程度の高い帝国を築き上げました。

支配地域は、現在のミャンマーからベトナムまで、東南アジアの大陸部のほとんどにおよびました。

アンコールの寺院群は、古代クメールの首都アンコールのそばに建造されました。12世紀にクメール全域で、ヒンドゥー教から仏教への転換が行われた。

仏教とヒンドゥー教は、長年にわたって平和的に共存していました。仏教が初めてカンボジアに入ってきたのは5世紀ごろです。

インドからの商人や布教者がもたらした仏教文化は、カンボジアの歴史に大きな影響を与えることになりました。

それ以前にすでにヒンドゥー教をカンボジアに伝えていたのも同じくインドです。

アンコール・ワットはヒンドゥー教の寺院でしたが、1300年代に正式に仏教寺院に改められました。

仏教はヒンドゥー教に寛容だったので、仏像は追加されたものの、既存の彫像や彫刻が破壊されたり置き換えられたりすることはありませんでした。

4.ヨーロッパ人の到来
1400年代になると、クメール王朝の衰退していました。その影響でクメール王朝の都市や寺院は朽ち果てて、あたりはジャングルになっていきました。

それでも、アンコール・ワットは重んじられ、14世紀末から15世紀初めにかけて、寺院群が再建され、仏教僧たちによって巡礼地として整備された。

そして、16世紀半ばには、ヨーロッパ人がやってくるようになりました。

当時のポルトガルの商人で歴史家のディオゴ・デ・コートは、
「カンボジアのジャングルには都市の遺跡が眠っている。壁はすべて切り出した石でできており、まるでひとつの石でできているように思えるほど、完璧に並べられている。石はまるで大理石のようだ」
と書物に記しています。


5.アンコール遺跡の魅力(おわりにかえて)
その後も、アンコール遺跡には、数世紀にわたって海外からの旅行者がおしよせました。

マレーシアのイスラム教徒をはじめとする東南アジアの商人、日本の仏教徒など、多くの人がカンボジアを訪れるようになりました。

ヨーロッパ人のアンコール遺跡への憧れが最高潮に達したのは19世紀でした。
フランス人探検家であり、博物学者のアンリ・ムーオは、1859年後半にアンコールにやってきました。

ムーオは3カ月をかけてアンコール地帯を調査し、多くのスケッチや日記を残しました。

ムーオの日記には、
「この地方は、今もアンコールという名で呼ばれている。なんという壮大な遺跡だろうか。初めて見た者は深い畏敬の念に満たされる。そして、この高度な文明や知識を持ち、このような巨大な建造物を作り上げた強力な民族はいったいどうなったのかと問わずにはいられなくなる」
と記されています。

1864年に、精緻なスケッチを含むムーオの著作が出版されると、ヨーロッパ人たちの関心がアンコールに向けられるようになり、その観光地としての人気は確かなものになっていったようです。


以上


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