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ライトフライヤー号

ライト兄弟は有人動力飛行に成功しました
ただ、技術の発展は良い面だけではないため、
その活用方法については、十分、留意する必要があると思います

〈目次〉
1.ライト兄弟 有人動力飛行に成功
2.人類の空を飛ぶことの憧れ 
3.動力飛行以前
4.人類の空を飛ぶことの憧れ
5.技術の発展の良い面ばかりではない 

1.ライト兄弟 有人動力飛行に成功
ライト兄弟は、牧師の息子として生まれました。兄のウィルバー・ライトと弟のオーヴィル・ライトは、自転車屋を営みながら、空を飛行するために、様々な実験を重ねました。

いろいろ人からアイディアをもらい、何度も挑戦して、とうとう1903年12月17日、ノースカロライナ州キティホークの小さな丘で、12馬力のエンジンを乗せたライトフライヤー号の有人動力飛行に成功しました。

ライト兄弟は、風の強い日に飛行しましたが、これが正しかったようです。

普通なら、強風は危ないとか、追い風の方がいいと考えられがちですが、本当に飛行機が飛ぶのは向かい風で揚力が働く時だからです。

飛行時間は、4回実験をして、3回目までは10秒台でしたが、4回目に約1分間、200メートル以上の距離を飛びました。
このことは、人類にとって偉業でした。


2.人類の空を飛ぶことの憧れ
人類は、昔から空を飛ぶことに憧れを抱いていました。

例えば、ルネサンスの美術家として有名な才人、レオナルド・ダヴィンチは、人体の構造を分析したり、落とした水を水車で汲み上げる永久動力など、さまざまな研究を行ったりしていて、その中の1つに飛行機の研究もありました。


3.動力飛行以前
動力飛行以前には、高い丘から滑空するグライダー、練炭で温かい空気を送る熱気球、空気よりも軽い水素やヘリウムを入れた大きな飛行線ドイツの「ツェッペリン号」など、人類が飛ぶためにさまざまな工夫がなされました。

4.技術の発展は良い面ばかりではない
19世紀に産業革命が起こり、技術がどんどん進歩し、様々な人が飛行機について同じような研究をし、20世紀初めに次々と成功したことは、自然の流れでした。

ところが、発明したオーヴィル・ライトは、第二次世界大戦で、自分の作った飛行機がまちを破壊することに繋がったと、深く悩みました。ダイナマイトを開発したノーベルもそうでした。

技術の発展には良い面ばかりではありません。そのまて、その技術の活用方法については、十分、留意する必要があると思います。



以上


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