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ライフハック


<ライフハックの源泉は貧困にある、豊かさと共に失ったもの。頭をひねる必要もなく生存を勝ち得ているルーティンの中で、馬鹿にならないために必要な教育のモロさ。万民に等しく与えられた教育環境そのものが人々から教養を失わせたなんて笑えないジョークだ>

ライフハックへの関心の長所は生活を意識するということ、いやむしろ無意識なる生活の中でほんの微かにであれ目覚めるということだ。

というわけで今日の仕事終わりに、風呂に入りたいけど風呂入るとゆっくりしてしまって時間なくなるので、考えた末の答えが最近現場でのテント泊に疲れた時、たまの贅沢に泊まるのに使う漫喫。最初の30分190円でシャワー無料なので、シャワー浴びてパンツふみふみ洗って、乳液塗り塗りして、軽く文章書きながらジュース二杯飲んでソフトクリームかじって出て190円!!

で、飯を食いに行こうかとも思うのだがそのまま飯食ってダラダラスマホでTwitterなんか見てたらあっという間に数時間経ってしまうので、駐車場で米を炊いた、で、豚肉と小松菜の炒め物も軽トラの荷台のケツで作ってメスティンをお弁当箱の代わりに詰め込んでフードコートに移動して食べる。最高だ。最高にうまい。

俺のやることなすこと全部ライフハックだ、俺の今日の生き方の教科書はどこを探しても見つからなかった、探すこと諦め、作るしかない。1日を作ること、誰もがやってる簡単ではないこと、今日の環境今日の仕事今日の現場今日の天気、で?テント?漫喫?どこの天井眺めながら目を閉じて明朝を迎えるのかも約束のない世界へ。

しかしながら、全然かっこ良くもなけりゃ充実してるのかすらわからない。今現在、久万高原と宇和島と今治というそれぞれに2時間ほど離れてるエリアでそれぞれくっそ山奥の現場を3つ同時に抱えてる、1人で。笑える。

3月末に仕事仲間と会社を作るつもりだ、同時に自分の仕事もとる、地元で入札資格をゲットして個人でも仕事をもらった、書類も何もやらなきゃだけど助っ人はいつも誰かがいてくれて助かる。なんか俺の背後霊が俺の行く先々の要人に憑依して俺をヘルプしてくれるかのようで、ちょうど良いところでちょうど良い人が、ギリギリ落っこちない程度にヘルプしてくれる、ということが36年ほど続いている。

そんな過渡期にあって今、俺は忙しい。
忙しいと言えば、どっかの平積みの起業家が時間は作るもんだとかやかましいが。あのセリフ嫌いや。忙しいという概念は俺にとって過去への言い訳のようなもので、過去の続きに今の俺がいるというところに自分をマッピングしてることから生じる軋轢。あぁ不自由な。

かつて俺は秒針そのものとして生きてた、振り向きもせず行く末も忘れて生きてた、細胞が分裂するその境目をすみかに、耳を澄ますように生きてた。それから事が起こり縁が起こりそれらは事故を起こし、句読点となり、物語を語り出したあたりから人類は言い訳を学習する。

歴史とは言い訳の合意形成であり誰のリアルも掬うことのできない最大公約数、みんなの足が入れる靴とは、全く役に立たないガバガバな靴で有るみたいなもん。

忙しさは過去との整合点を編む物語化への齟齬であり、つまずき、忙殺、心ここに在らずの日々。ライフハックはそんな無意識なる日々の網目に絡め取られたベルトコンベアー上の我々が地面に打ちつけるピッケル、ここを起点に目を覚ませ。

で、フードコートにメスティンで飯にありついた俺は、大沢けんじの超格闘技通通信のライブ配信チケットを買っていたのを忘れてて、慌ててつけてちょうど配信開始時間。業界の貴重な話を聞けたし、何より作り手の勢い、パワーも格闘家に勝るとも劣らぬ勢で、そこが垣間見れて面白かった。

ため息つく間もなく、そのままスマホで昨日ゴープロで撮影した動画をスマホで編集、昨日は昨日で大変だったんだよ‼︎
現場の雪解け表土ちゅるんちゅるんのぬかるみに軽トラタイヤ取られてスタック、斜面の下で。まじで冷や汗と謎のドキドキ、テントでその場で夜を明かして地面が凍りつくのを待とうか、だとしたら軽トラ内でエンジンかけてエアコンなんかつけたら車体周りぬくなって地面凍らんから、テントで寒気をしのごうかだとか。

嫌なことでも考えなきゃ助からねえ、自分の頭捻らなきゃ電波もねぇ、人もあかりも、誰もいない叫んだところで自分の声のこだまが返ってくるだけ、悪態ついて吐いた唾に自分が濡れるだけ、んな毎日暮らしてたら人間、知らん間に寡黙になってんよ、ニヤニヤしたまんま固まった顔面ぶら下げてよう。

アンバランスな日々乗りこなすサーファーの顔は真顔、奥歯はくっついたみたいにエラが張って、、でも、ちょっとした安逸、自分で乗り越えた山、自分で何とかなった今、漫喫を一番非現実なものとして享受してるのは間違いなく俺だよって謎の自負。

承認欲求だとかって言うけどさ、切実なんだよ、でも俺の承認欲求は半端ない、誰かに賞賛されててもそこに自信が伴わなければすぐに降りちまう、TPOで俺のヨシヨシされたい承認はまるで違うのだ。なんてメンドクサイ人間だ、そんな奴は山にしまっておいた方が良い。

もう別に美学でも何でもないんだ、死との格闘なんてカサブタみたいに硬化したよ、あぶねえ笹刈刃億万回振りながら東京の方で行われる学者だの知識人だのの対談なんか聞いてる、勉強でも何でもない、タバコの代わりに東京成分をちょいと吸ってるだけだ。

知りたくもない事ばっかり物知りになったよ、最近の話題やトレンドや、ユーチューブにTwitterの最新ページ引き摺り出すスワイプ俺ほどやってるやつおらんのじゃないか。

山神に手を合わせて首を垂れる、ぬかるみに躊躇なく地下たびで踏み込んでいきながら、東京ちゅうちゅう、ここはどこだ世界の中心だ、俺は孤独だ、誰よりも大勢が見える。

中沢新一の網野善彦についての本を読む、何なんだこの人は、俺は中沢新一に熊楠も折口も入り口まで案内してもらった、不思議な人だ、この人は魅力を伝えるのがめちゃくちゃうまい、引き込まれる。

俺は自分の足場で、そして俺が引き摺り回されるネットの海で、そして俺の出鱈目でランダムなあらゆる発信の中で思考してる、今はほとんどの俺が寝てるんだが、そいつらには確実に蓄積してるものがある、俺は撒き餌みたいにランダムにたくさんの俺に餌をやる、確率論的にしか俺は育たない、偶然に備える。

これは一種の賭けだ、人生の日々のどこを切り取っても当たり前に行われている類の賭けだ、この文にしても全く賭けでしかない、あとで読むのが楽しみでランダムに書いてる、意識がどこに有るかと言えば、それは書くことの方向性をはぐらかすこと、これじゃないあれじゃないと話題のことごとくを脱ぎ捨てて裸を目指す、その過程の全て、脱ぎ散らかしたトピックの全てに俺の残滓がある、カタツムリみたいに過渡していく、経ていく。

人は表現によって前に進む、なぜなら前進とは虚構だからだ、みんなが信じる虚構を現実と呼ぶのなら、確信を持って表現すべきだ、それを持って前進とする。俺は前に進む、過去を排泄し、かつての自分と今の自分を比べこれが改善されたなんていう物語を組み立てながら。

しかしちょっぴりバカらしくなった、こんなに統合するに失調する日々を生きながらも俺という軸は変わらず居残っているような気分、気分だけがここにある。あのクロソウスキーが言ってたやつ、遠ざかりながらも再び近づこうとする力。俺が俺たらしめる気分、変動する日々、変動する自己、脱ぎ捨てた自分、それでもなお俺たらしめるタマネギの芯。

運動とは全て無重力への働きかけである、俺は俺の空虚を蹴る、それを刮目すればするほどの蹴る力は増す、無への強烈な認識が人を立たせる、自分の上に自分が立つと言うこと、俺が俺であると証明する力、重力に反逆する、自分が内側に向かって崩壊していく力に抗う、そこにビロビロとぶれつつもいかにも確かに在る、ワタクシという有機交流電灯、それら全てが無意識に流れこもうとする力に、ほんの少しのライフハック、これをこうしてちょっぴりお得感みたいな、これだけだけど私は私を意識した、めでたいことだ。

今日の不便に逆らって、明日は明日の不便に逆らって、意識を少しずつする、しかしどうだ?この文章は、意識以外の何者でもないこれは、これがきっと俺なんだ、書いた側から文字の海に溶けていく、書こうと叩く指の音が漫喫の空間に響く、誰かの漫画を捲るページの音と合奏して、俺たちは存在を遠巻きに語る、意識がそこここにあったのだと、別の惑星から受信し合うように耳ラッパの後ろ側で感じ合っている。




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