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牧師、新聞社代表。 パンクロック、ボイスアート、サルトル、仏教哲学等を経てキリストに出…

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牧師、新聞社代表。 パンクロック、ボイスアート、サルトル、仏教哲学等を経てキリストに出会う。 難治慢性の化学物質過敏症、副腎不全、IgA血管炎になり病の方のつらさがより分かるように。 キリスト教、健康、音楽、文化等をシェア。

最近の記事

レディーファーストから考察する「恵み」の価値観

「レディファースト」を強調する社会の風潮は、むしろ男女差別的? また、感謝の念もなく、「優遇されて当たり前」と思っている様なタイプの女性については、そもそも「レディファースト」の恩恵を享受する資格などない この問題提起に対して。 「レディーファースト」は、「人間の盾」説などもあるようですね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%8

    • 中野信子さんを擁護する中で「学問」の専門分野の知とその一般知への応用、さらに哲学の「標的」について触れたいち考察

      〈脳科学者・中野信子さんに対する、とあるグループでの無理筋「批判」に苦言を呈する所から「哲学」の「標的」についての言及にまで至った「学問」の専門分野の知とその一般知への応用についてのいち考察〉 中野信子さんは脳科学の研究者であって、論文でもない限り、テレビや一般書ではああいうスティルになると思いますよ。 例えば、現代社会を「分かりやすく」説明する「シャーデンフロイデ」の概念の提示・紹介とか。 中野さんはそういう事を日常の学究活動でなさっているのではないと思いますけども。

      • 「うんち・うんこ」論から〈社会業〉の蓄積として私たちを取り巻くシステミック差別構造の言及へと駆け上がってみた

        Facebookのグループへの投稿と、そのコメントを以下、まとめました。 これのリンク先の出来事は、なんか表現論、記号論、言語哲学的に深いですね。語感と定義がなにげに合っているという。 さすが「ことだま」の國、我が朝のもろもろの智者たちの沙汰し申さるる……。 学者たちの「賢しら」を嗤って複雑な皮肉をば労してみました。 本歌はこちら。 法然上人 一枚起請文 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9E%9A%E8%B5%B

        • オカルト、仏教、キリスト教 ―神秘化か啓示か―

          Facebookでのグループへの投稿をまとめました。 0 ここでなされているやりとりは、「根拠に基づく」哲学/宗教の話を真剣に求めている「問い」に対して、「空想科学」哲学/宗教「的な」見解の方が十分に確かな証拠を何一つ提示できなかった「スレ違い」である、と認識しました。 その上で、「宗教」や「叡智」には二つあります。いや、三つです。二つの極端である「オカルト」と「キリスト教」との間に「仏教」が入ります。 1.「オカルト」タイプ、すなわち、「秘す」こと「隠す」ことによって

        レディーファーストから考察する「恵み」の価値観

        • 中野信子さんを擁護する中で「学問」の専門分野の知とその一般知への応用、さらに哲学の「標的」について触れたいち考察

        • 「うんち・うんこ」論から〈社会業〉の蓄積として私たちを取り巻くシステミック差別構造の言及へと駆け上がってみた

        • オカルト、仏教、キリスト教 ―神秘化か啓示か―

          《仮説》音楽をつくる〈耳〉 マーラー「大地の歌」による〈考察〉あるいは〈変奏曲〉

          以下、投稿で書いた「仮説」の概要をまとめました。ただの思い付きのたたき台です。 ぜひご意見や異論・反論・議論を。 1. マーラー「大地の歌」による〈考察〉あるいは〈変奏曲〉 私はクレンペラー盤も、カラヤン盤も、ワルター盤も、それぞれ美しく聴き通せるのですが、バーンスタイン&ディースカウ盤のように延々ループ再生したいとまでは感じなくて。 それで、一つの仮説にたどり着きつつあるところでした。 つまり、指揮者の耳がボーカル中心に聴いているか、音楽全体で聴いているかで違うの

          《仮説》音楽をつくる〈耳〉 マーラー「大地の歌」による〈考察〉あるいは〈変奏曲〉

          「新実在論の神学的転回」

          「新実在論の神学的転回」 プロテスタントの、特にたかだか数百年の歴史しかない自由主義神学に立った、中途半端な「科学主義」思想の観点から、 パレスチナにイエスという人物が「いた」事くらいは信じていても、その属性や言動はあたかも神話やおとぎ話の中の出来事のように平気で語れる人を見ると、私は正直ゾッとします。 聖書に書かれている事もただの高潔な道徳を現代に適用させるための「御託」のように捉えている考え方自体に対しても。 私が「新実在論」に直観的に着目してきたのもまさに「この

          「新実在論の神学的転回」