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2024年は良い年でした。修士論文を書くことで、内面を充実させることができたように思います。 #今年のふり返り

もうすぐ53歳なので、かれこれ40回以上「今年のふり返り」というものをしてきていることになります。そんな自分の人生の中で、2023年という年は、内面が充実した良い年だったと思います。そんな2023年を自分なりに振り返ってみました。

私は39歳、2010年の秋に出産しました。出産前に「妊婦のうちは妊婦である女性が主役だけれども、出産したら子どもが主役になるんだよ」と聞いていて、そんなものかと思っていました。当時は、女性が「お母さん」になることが、仕事人生を脅かしたり、軽く扱われる原因になるとは、本当には理解していませんでした。私は約10年間、大学院で学び始めるまで、失われていく「自分」に成すすべもなく呆然としていたように思います。

2023年は、私にとって大学院の修士論文の年でした。指導の先生と相性が良く、チャプター出版(出版自体は2024年2月)の経験もしました。出版することもあり、当初想像していた以上に真剣に修士論文に取り組むことになりました。おかげで、日本社会の仕組みと女性の抑圧について、自分なりのものの見方ができるようになりました。その結果として、2023年は「自分を取り戻す作業」の仕上げの年になったように思います。

ここに至るまでの40歳代後半は、「自分」が失われていくことに抵抗するために、思い切って前職を休業、できることからジタバタ手をつけていました。note記事にもしているニュージーランドの学校でのインターン、イギリスの大学院への出願も、この「ジタバタ」をつなぐふたつの点でした。「再出発」とか「ライフシフト」とか「第二の人生」など色々な言い方があありますが、私の場合は「ジタバタの点がたまたまつながって線になりはじめてきた」のがこの2023年だったように思います。

修士論文を書く中で、女性が社会に期待されている役割である「お母さん」というもの、期待される自己犠牲、といったものを再確認し、男女平等のために女性に推奨されているもののほとんどは、ただ単に男性社会の鎧と剣であるとしっかり理解できるようになりました。「男性の文脈」というキーワードで切り取ると、女性は誰によって何を期待されているのかが、クリアに見えることにも驚きました。

また、社会正義(ソーシャルジャスティス)の視点を持つことで、今までの私の人生のラッキーは、たまたま自分が努力したいと思える環境に身を置くことができたからなのだ、と分かるようになりました。今後、自分が得たものを還元したいと考えているモチベーションでもあります。

元々「女性として生きてきて損していることが多い」というのが私のモヤモヤの中心にあって、そのモヤモヤを成仏させるための大学院選びでした。よくあるキャリアチェンジに役立つスキル獲得や、履歴書のための大学院ではありませんでした。なので、「教育と社会正義」という修士課程を英語で苦労しながら学んでいる私を見て、そんな勉強してどうするの?何か得があるの?と内心思っていた知人もいたと思います。

でも、私はこの修士課程で学んで、本当に良かったと思います。というのも、私が思春期以降、この男型社会の中でサバイブするため(相対的に勝つため)だけに身につけていた女らしさ、競争心、マスキュリニティを手放すことを肯定できるようになったからです。この修士課程で学ぶことがなければ、今も勝つために身に着けた習慣のせいで残りの人生の「自分の可能性」を狭めていたと思います。

「男性の文脈の中で身につけてきたことは本当に私らしいことなのか?」と考える習慣ができたことで、自分らしくないものを手放せるようになったのです。 … これが「私のモヤモヤの成仏」となりました。

2023年の大晦日は、雪降る町で過ごしています。窓の外は空も木々も大地も真っ白です。内面を充実させる良い年にできたせいか、こういう静かな自然の強さのようなものを私の中に育むのを大切にしていきたい、と思うようになりました。

2024年は、「女性の声・プロジェクト」を丁寧に作っていきたいと思っています。今年、記事を読んでくださった皆さま、応援してくださった皆さま、どうもありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

おまけメモ
年始に「今年の漢字」を書いて、見えるところに置いているのですが、2023年の漢字は「嬉」(Joy)でした。

#今年のふり返り

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