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KIKIAU KOTONO ENERUGII #51

          境遇


訳あって、私には二人の父親がいる。
正確には、いた。

一昨年、一通の手紙が届いた。
「あなたのお父様が、お亡くなりになりました」
と書かれてあった。

生き別れして、30年以上経っていたので
”ああ、もう結構な年齢になってたんだな”と思った。

父と母は、それぞれの事情と運命の悪戯で結婚し
私が生まれた。
大人の事情なんて知らない私は
随分と翻弄された。
一通の手紙が、一つの区切りになったことは確かだった。

夫婦喧嘩はいつも
「中卒はだから嫌なんだ!」の母の一言で
無口な父が母を殴る。
そう言う母も中卒だった。

当初、私は言葉の意味するところが分からなかった。
今なら、わかる。
ただ単に、母は父が嫌いなだけで
愛情のカケラもなかったのだった。

父は農家の3男坊で
いわゆる、穀潰しで本家にとっては邪魔で
義務教育までは何とかしてくれるが
後は、自分で生きていかねばならなかった。

父は、丁稚奉公で大工になった。
父の耳は片方だけが、潰れていた。
師匠とやらに、暴力を受けていたらしい。
手で殴ると痛いから、角材で殴ったらしい。
逃げたら耳に直撃し、逃げたという理由でさらに殴られたそうだ。

父は生き延びて
この地に降り立った。
たった一人で、家を立てる
一匹狼の大工だった。

私は、幼少期に現場に連れて行かれ
大鋸屑の山で遊んでいた。
少し、大きくなってからは
父の技術の凄さに気が付き、尊敬するようになった。

父は漢字の読み書きは出来なかったが
家の設計図から始まり
1ミリの狂いもなく、角材を切り釘を打たねば
なし得ない事を父はたった一人でやっていた。

こんな素晴らしい職人を
学歴を理由に罵っていた母。
そんな母にも、中卒に対する怒りがあった。

10人兄弟の10番目に生まれた。
10歳になる前に両親は亡くなり、兄弟の家を
転々としながら生きてきた。
9歳から働いていた。

高校に進学を希望していたが
金銭的な助けができる兄弟がいなかった。
「女に学歴はいらない」そう言われたそうだ。
が、しかし世話になっていた先の娘は
高校に入学したのだった。

当時、中学生だった頃の両親を想像すると
自分の生まれた境遇は選ぶことはできないが
そんな中で本当に二人とも、よく生き抜いてきたと思う。

お陰で、私が生まれたんだよ。
愛情がなくたって、そんなこと大きな問題じゃないよ
夫婦喧嘩に離婚、それがなんだって言うの
この世に生まれたことは凄いことなんだから。

自分の人生を体験し
創っていくことが出来るなんて
生きてるって、なんて素晴らしいんだろうと思うよ

そう言えるまで、何年かかっただろうか
こんな家に生まれたら、こんな親だったら
そう思ったことが随分あったけど
そもそも、生まれなかったら何にも経験できなかったもん。

二人には感謝しかない




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