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考えることが大事であることを教えてほしい

前回の「見守って、待ってみる」という記事で、コツや工夫を教えるタイミングについて書きました。

今回は、教えるということに関して書いていきます。私は、大学までの学校生活やラグビーの中で、あらゆる教育者からたくさんのことを教わってきました。社会人になって思うことは、答えを教わるよりも考え方や考えるために注目するところなどを教えてほしかったなと思っています。

理由として、考えることが苦手な人間に育ってしまったからです。答えや指示を与え続けられたことによって、言われたことに従って取り組んできました。

その結果、どの行動を取るにしても自分の考えがないことに気がつきました。物事を自分で解決することが難しくなり、答えを求めてしまう人間になりました。考えることが大事であることを教えて、考えさせてほしかったです。

では、教育者はどんな気持ちで教えていたのでしょうか。

考えてもわからないことですが、教えたことを忠実に守り成果が出たとしたら、教えた側にとって嬉しいことだと思います。

人によっては、自分の教えた内容がよかった。自分の教育は間違っていないと思えるかもしれないです。

しかし、それは自分のやってきたことや考えを相手に映し出して、社会に通じることを証明しようとしているようにも思えます。これでは、考えられる人間は育ちません。

そこで、自分の考えを教えるのではなく、考えを共有して相手に考えさせるのはどうでしょうか。

相手の可能性を信じて、相手に問いかけ続けることで、自分には思いつかなかった考え方や新しい物の見方などを教わることがあるかもしれません。

教える側が教わるスタンスで接することで、教える側と教わる側というはっきりした区別がなくなる気がします。教え合い高め合う関係性ができると、なんだか楽しくなりそうです。

私は考えることが苦手ではありますが、責任を押し付けるつもりもありません。これからも考えることを辞めずに、少しずつ自分で考えられる人間になっていきたいと思います。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

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