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ごめんなさい『進化思考』。読まずに侮ってました。

発売から2ヶ月。著者が渾身の力で書いたの知っていながら、離島で立ち上げた出版社が「最初の一冊」として出版したのも知りながら、いまだに読んでいなかった『進化思考』。ようやく読んだのだが「ごめんなさい」の一言に尽きる。こんなに素晴らしい本だと想像もしていなかった。

読んでいなかったのは、いくつか理由がある。まずは「まとまった時間が取れなかった」という大学生の試験前の「祖母が亡くなって」というような言い訳である。時間なんて本気出せばあるんだよね。
もう一つは読む時期を逸してしまったのだ。発売前から評判になり出版後もすぐに増刷。全体で500ページで定価3000円という分厚さと価格ながら、すでに3万部を超えたという。著者の意気込みに「応援しよう」と思ってはいたが、もう僕の応援など必要ないほど受け入れられた。

もう一つ読まなかった理由は、正直にいうと、さほど期待していなかったこともある。数年前に、ある雑誌に本書の元になる論考が掲載されたのだが、僕には難解すぎたのだ。抽象的な表現の海に溺れそうになった。著者の太刀川さんにも正直に「難しくてよくわからなかった」と感想を言った。その延長で書籍になり、それが500ページということは相当覚悟しないと読みきれない。そんな予想をしていたのだ。

だからこそ、読み終えた今「太刀川さん、ごめんなさい」と言うしかない。

創造性について書かれた本が、まるで生命の神秘を紹介した生物学の本を読んでいるかのような面白さだ。500ページは、どのページにも力強い言葉が並び、決して飽きることなく読み終えた。そして、「進化思考」という書名がぴったりの本で、完璧なまでにタイトルに偽りなしだ。

改めて本書を紹介すると、デザイナーである太刀川英輔さんが自問自答しながら、創造性が生まれるプロセスを分解したものである。斬新なアイデア、閃きのような発想など、新しいものを生み出す創造性の重要性はもはや語り尽くされている。その一方で「どうすれば新しい発想が生まれるか」という問いには属人的なスキルは多々あれど、誰もが実践できる方法論は見当たらない。

この「どうしたら新しい発想が生まれるか」を著者が愚直に考えて行き着いたのが、本書『進化思考』である。
それは、生命の進化のプロセスが、人が新しいものを生み出すプロセスに応用できるという考え方である。途方もない話に聞こえるかも知れないが本書を読むと納得する。自然が生み出した生命ほど精密にデザインされたものはない。生存をかけて最適化されてきた生物の機能には無駄はなく、人智を超えた「デザイン」の力が宿っている。生物学者が生命の機能を知れば知るほどその神秘に感嘆するように、デザイナーがデザインの本質を突き詰めれば突き詰めるほど、時間をかけて自然が築いた仕組みに感服したのか。デザインの本質は、自然界から学べるのではないか。著者はおそらくこのような思考から「進化」のプロセスに着目したのであろう。

本書では、デザインの方法論を進化の「変異」と「適応」に倣って説明する。「変異」は遺伝子のコピーエラーから引き起こされるのだが、それによって多様性が生まれ、環境変化に対応できる新しい可能性をもたらす。そして、発想における「変異」とは本書では「変量」「欠失」「転移」など9つに分類している。
例えば、「変量」では通常のサイズを大幅に変更してみる思考である。たまたま僕は現在、音声メディアのコンテンツを作っている。このメディアでは、忙しい人がスキマ時間で聴けるように一つのコンテンツを10分にしているが、「変量」のところを読んで「24時間」のコンテンツとかどうかと考えたら俄然発想が広がった。四万十川のせせらぎの音が24時間聞けたら、都心のビジネスパーソンにとってどんな癒しが提供できるだろうか?などアイデアが次々と生まれる。「なるほど、そうか」と早くも著者の世界に引き摺り込まれていた。

適応では「解剖」「系統」「生態」「予測」という4つに分類されているが、これらは発想する対象のそもそもの存在意義を思考するフェーズと言い換えられる。どこまでも細かく分析して機能の存在を知ること、そしてその「対象」はどのような人やものとの関係性の中で存在意義があるのか。著者の言葉を借りれば、デザインとはそもそも「人とものとの新しい関係性を生み出すこと」である。

生物における進化のプロセスとは「変異」と「適応」で説明できるんだっけ?そんな疑問を持ちつつ読んだのだが、この「変異と適応」が非常に説得力がある。著者は変異を「How」とし、適応を「Why」と言い換える。「どのように」と「なぜ?」の組み合わせを9 ×4のマトリックスから生み出すことができるとも読める。

この「変異と適応」は、加藤昌治さんの『考具』で紹介されていた「わがままと思いやり」との共通点を感じた。加藤さんは、クリエイティブには作り手の「わがまま」が欠かせない一方で、受け手への「思いやり」がないとそのわがままは独りよがりで終わってしまうと説く。「わがまま」の部分は、作り手の自由な選択が幅を広げる領域であり、「思いやり」はそれを受け取りやすいように調整する領域である。

同様に、本書の「変異」はまさに「どのように変化させるか」という領域の自由さを思う存分示してくれる。僕らの発想がいかに狭いか。「こんな広い領域で考えていいんだよ」と一流のデザイナーがロジカルに語ってくれる。そして「適応」では、それが他者や社会に受け入れられる存在意義を設計するフェーズである。著者はこの変異と適応を繰り返すことで、本質的に新しいものが生まれると主張する。

進化の概念がこのように創造性のプロセスに見事にマッチしているのだ。その上で、本書では自然界の進化がダブルミーニングになっているように読める。それは
人の思考や意思決定も、自然界の持続可能性から学ぼうというマインドである。変異と適応を繰り返して営まれてきた自然界。そこには相互作用を繰り返しながら絶えず変化を続け、そして持続されてきた美しい世界である。人間が新しいものを生み出す際に、この自然から学ぶことによって、生態系を不可逆的に壊す人工物を生み出すのではなく、持続可能なものを生み出す力を手に入れることにつながるのではないか。
著者は本書の終盤で「『真に作るべきもの』は何か」と問う。
そしてこの問いへの指針として次のように書いている。

私にとって、つねにこの問いへの指針になるのは、愛ある適応と変異の力を兼ね備えたデザインへの挑戦だ。もはや祈りと言ってもいいかもしれない。これを両立させるのは並大抵ではないけど、その両立が叶ったとき、創造性は秘めたる本来の力を発揮し、時には時代や社会さえも変えることができる。(P.451)

よく「自分は創造性がない」と言う人がいるが、そう言う人は本書をぜひ読んでもらいたい。創造性が一部の才能あふれる人の領域でないことに気づくだろうし、実際に新しいものを生み出す方法論がいくつも示されている。そして、自分は創造性があると思っている僕のような人にも読んでもらいたい。その思考の幅がいかに浅く狭いものであったかを教えてくれるだろう。思考とは、新しいものを生み出す力の源泉である。その意味で本書は、考えること、そして生み出すことの教科書と言える。


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