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健全な資本主義におけるガバナンスとは

僕はガバナンスの専門家ではないが、前々から、企業と株主との関係について考えることが多かった。企業は投資家の存在を抜きにして、その存続はありえない。資本という機能によって、ゼロから多くの事業が生まれたのが経済の歴史でもある。
かと言って、企業の目的が株主価値の最大化だけのような言い方は、あまりに矮小化し過ぎていないか。「株主のために」は働く人のモチベーションになりにくいだろうし、社会的存在としての企業の在り方とも整合性がつかない。ガバナンスが機能せずに衰退する日本企業を見ると、株主価値をないがしろにできないが、その過度なプレッシャーによる弊害も見逃せない。

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー(DHBR)の最新号(2017年12月号)に、コーポレートガバナンスに関するとても興味深い論考が掲載されている。タイトルは、「健全な資本主義のためのコーポレートガバナンス」で、著者は、ハーバード・ビジネススクール(HBS)のジョセフ・バウアー名誉教授らである。このバウアー教授は、HBSでのキャリアが50年を超えるビジネススクールの世界的大御所と言える人物である。
この記事で最も興味深いのは、企業と株主の関係性の元となっているエージェンシー理論の前提について、明確に欠陥があることと論じているところだ。

エージェンシー理論では、株主が企業の所有者であり、経営者は、株主という依頼人(プリンシパル)の利益のために奉仕する代理人(エージェント)と位置付ける。このエージェンシー理論に対し、この論文では、経営者が株主の代理人なら、経営による社会的損失の責任は誰が負うのかと問う。企業が不祥事を起こしたり、大きな事故を招いた責任を、企業の所有者である株主が負うわけではない。この「株主の責任」が曖昧な中、経営者は「株主の利益に奉仕する」という責務を負っている。経営者の役割は多岐に亘り、それは「株主の代理人」という立場を超える。
また、プリンシパルである多数の株主の意思が多様であり、ひとまとめに「所有者」として扱うことが困難である点も指摘している。株主が求めるリターンも、短期なのか、長期なのか、投資スタンスで異なる。短期のリターンを求める投資家は、長期的な成長につながる投資を抑えてでも、四半期での利益の拡大を求めるだろう。特定の株主の期待に応えることで、事業の健全性が損なわれるリスクにも言及している。

この論文では、エージェンシー理論への問題提起が3分の2を占め、後半には、株主中心から企業中心の企業統治手法を提唱している。そこでは、株主の権利は限定的であり、経営者は社会的責任を負う企業の存続について、より大きな責任を課す。そして取締役会が、株主への責任よりも広い範囲の役割を担うようになると提唱している。バウアーらの代案は、本人たちが「開発途上」と認めるように切れ味を欠くが興味深い。まずはこのような考えが、資本の力を信じ株主を重視するアメリカから出てきたことである。日本の「三方よし」の考え方に近いが、それが株主価値を重視するアメリカ、さらに言えば、資本主義の権化のような存在のHBSから出てきたことだ(近年のHBSはこういう論調が多くなってきた)。ESG投資の台頭と同じように、行き過ぎた株主価値経営に対する懸念がますます広がっている。社会における企業活動あり方が世界的にも問われている証左であろう。

そして何よりもバウアー自身が、イノベーション信奉者であり、企業の力を信じる経営論者である点が見逃せない。イノベーションと言えば、いまやクレイトン・クリステンセンが第一人者だが、代表作である「イノベーションのジレンマ」の元の論文の共著者はバウアー氏であり、しかも第一オーサーである。
ちょうど4年前、バウアー教授が来日し、DHBRでインタビューする機会があった。彼は、社会的課題の解決は、今後政府ではなく、企業がその担い手になると力説していた。彼は企業のもつ潜在的な力を信じているのであり、企業がイノベーションを通じて社会にインパクトを与える存在であり続けることは疑っていない。この企業の力を弱めるのではなく、さらに活かす方向で、行き過ぎた株主価値経営を見直す論調が出て来たことがもっとも興味深い。株主中心の理論に比べ、新たな提唱されている企業中心理論はあいまいなところも多いが、欠点を指摘するだけでなく、こういう代案が発展的に修正されていくことを願うばかりである。

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