13-7松橋

マタギという生き方を心底楽しむ人――秋田県北秋田市阿仁にて

気仙沼ニッティング「東北探検隊」12日目は秋田県北秋田市の阿仁へ。
マタギに会うにはどうすればいいのだろう。ネットで調べてみたら、阿仁というところが、マタギ発祥の地で、マタギ資料館もあることがわかりました。秋田市からはクルマで二時間ほど。高い秋田杉が連なる山々をみながらどんどん山奥に入ると、マタギ資料館がありました。ここでは、マタギの歴史からかつて使っていた道具などの展示を見せてもらい。実際、いまなおマタギをしている人のお話しを聞くことができました。

マタギとは、単に熊やイノシシを狩る人のことを言うのではなく、山の神様への感謝を忘れず山と暮らす人のことを言うそうです。山の神様は女神なのですが、大変不細工で嫉妬深く、かつ男好き。山で女性や家族の話しをすると、山の神様がお怒りになる。そのためマタギは、貢物としてオコゼの干物をもって山に入ったそうで、山の神様はオコゼの顔を見て「自分より不細工だ」と機嫌をよくされるのだそうです。

マタギはチームで熊を仕留めます。熊を追い込む人もいれば、実際に銃で仕留める人もいる。だけど、リーダー役も新入りも山に入れば同じメンバーとして、取り分は平等というのがマタギたちの考え方で、これを「マタギ勘定」と言います。またマタギは熊を仕留める人というイメージが強いですが、彼らは山菜も含めて山で取れるものはすべて「授かる」と考えます。そのため熊を仕留めたときも、「授かった」という言い方を日常的にされます。

マタギ資料館を見終え、夜近くに前日に予約した宿、松橋旅館というところに向かいました。クルマで15分ほどの松橋旅館について驚いたのが、玄関に熊のはく製などマタギ資料館で見たものと同じようなものが並んでいることです。そういえば、資料館で見た昔のマタギの写真に「松橋」という名前の人が写っていました。
「あのー、こちらはマタギの関係なんでしょうか」と間抜けなことを聞くと、若いご主人が、「はい、私がマタギです。15代になります」と。この宿は代々マタギが営んできた旅館だったのでした。建物は築150年で、囲炉裏などもいまなお使っておられます。遅い時間だったにも関わらず、少しお話しを聞かせてくれませんかとお願いしたところ、快く応じてくださいました。

このご主人は今年54歳だそうで、代々のマタギの家に生まれた方かと思ったら、「能代出身です」と。奥さまとは高校時代に能代で知りあい、卒業後スキー場で再会した縁から結婚することに。「奥さまが婿養子を迎え入れないといけない」という事情に「それでは」と能代で勤めていた会社を「寿退社しました」(笑)と。
奥さまと付き合った頃は、「阿仁という場所も、マタギという言葉も知らなった」。当時はマタギがいまほど知られていない時代でした。海の町で育ったので、サーフィンもスキューバダイビングも楽しめば、船も所有して海釣りもする。またバイクが好きで結婚前は5台も所有していたとのこと。一時は東京でフリーターのような生活もしていたそう。同世代だからわかるのですが、相当の遊び人だったわけです。ご主人もそれを否定されません。
それがいきなり山深い村での生活に違和感はなかったのでしょうか。「最初は、山に囲まれていて息苦しいなぁと思いました」と当時を語ります。こちらに来て、奥さまの実家の旅館と農業を手伝うようになり、マタギであるお義父さんと一緒に山に山菜を採りにいくようになったのです。「最初に義父と山に入ったときは驚きました。道ではない薮に囲まれた急な斜面をすいすいと登っていくのです。サルかと思いましたよ!」と。当時のお義父さんは60歳を超えておられました。
1年後、この地に暮らすなら狩猟免許を取ろうと決め、30歳を過ぎてからマタギの一員として狩りもするようになったとそうです。
いまでは、田んぼの作業と旅館の掃除や接客、それに山菜やキノコ、それに川魚を採ってくるのが主な仕事。だから旅館で出す、山菜類と川魚はご主人が採った天然ものだそうで、お米も自作で、かつ味噌も自家製、おまけに熊の肉もマタギ仲間と一緒に捕ったものを出しているそうです。この日、夜遅かったため素泊まりにしたのが、心底悔やまれました。

この旅館は川釣りのお客さんが多く、12月から3月くらいは暇になるそうですが、熊狩りのシーズンは、12月の冬至の頃までと春先。しかも12月の後半からは、奥さまともども近くのスキースクールのインストラクターもされているので大変忙しいですが、言い方を変えると、あらゆる山のスポーツを生活のなかで実践されておられる。

資料館で聞いた、マタギは熊などを捕っても「授かった」という話をご主人にも伺ってみると「そうなんです。山菜もキノコ、魚もすべてそういう意識です」と仰ります。「熊やウサギもそうですし、キノコ類もそうですし、山に行ったら必ずとれるというものじゃないんです。ですから捕れたときは、『授かった』と自然に思います」

このご主人、独身時代は海で遊び、バイクもやる。それが一転して、山の神を敬うマタギへ。お話しを伺っていると、大変失礼ですが、海での遊びが山に変わっただけのようにも聞こえます。「今朝もキノコを取りに行ったら、いま旬なものが捕れたんですが、4回行って今日初めてとれたんですよ。それから川に行って魚釣って。今日は大きいのを2匹だけ持ち帰ってきました」と。朝4時から起きての農作業、旅館の仕事などもお忙しいようですが、それらを含めマタギの生活をとても楽しんでおられます。現在ふたりの息子さんが後を継ぐかどうかは本人たちに任せるそうです。ただ、「『こういう生活、楽しいぞ』とは言いましたね」といたずらっぽく笑われます。

ときどき、山に同行させてほしいという人がいるそうですが、マタギと一緒に山に入るのは相当難しいようで、「体力には自信があります」「登山は得意です」という人もマタギの歩く速度にまったく敵わないそうです。ちなみにご主人は山で履くのは地下足袋。服装は「ジャージが一番動きやすい(笑)。その下にはユニクロのシャツ」と、まったく装備は普通のようです。「マタギ特有の歩き方があるわけじゃないんですけどね。急いで歩いているわけでもないけど、普通の人はまずついてこれないですね」と。
翌朝、奥さまにもお会いしましたら「主人はすぐに山のことを覚えてくれて助かっています。いまや私より詳しいです」と。このご主人、無人島に一人で漂着しても、楽しく生き延びそうな方、そして与えられたもので楽しむ人生の達人のような方でした。

***今日見た風景から(秋田県阿仁)***

マタギ資料館の一室。昔のマタギの生活を再現。

おなじくマタギ資料館にあった鉄砲玉とつくる道具類。

阿仁ので夕暮れ時の靄と雲。

松橋旅館では干し餅が居間に吊るされている。

同じく松橋旅館。囲炉裏は冬場は普通に使われる。

同じく松橋旅館。昔のものが普通に置かれた居間はとても落ち着く。

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